図書館とわたし

今井 敏行

京都府立乙訓高等学校第26期卒業生

大阪音楽大学音楽学部作曲学科楽理専攻

 高校時代、わたしは音楽室と図書室を中心にすえて、生活していた。当時のわたしは熱心な吹奏楽部員であったことから、音楽室を利用することは必然のことであった。にしても、図書室に入り浸っていた時間の方が、音楽室にいた時間よりも多いような気がするのはなぜだろうか。

 高校時代が最も多く本を読んだ時期であることは、確かなことである。当時はなぜか、今よりも時間がふんだんにあったため、その時間を最大限に活用して、本を、とにかく読んでいた。読んだ本のすべてを、覚えているわけではない。当時読んだ本の大半は、今ではもう記憶のかなたである。それでも、わたしにはその読書についやした時間がむだであったとは思われない。

 本を読むことによっていろいろなことを知ることができた。それは、あきらかにわたしにとって幸運なことである。そのころの本の読み方は、まさに手当たりしだい、ノージャンルであったために、わけのわからない、出所不明の知識だけは豊富になった。しかし、そのわけのわからない知識が、後になって役立つこともあるのだから、人生はわからない。

 わたしが、そのころの読書から得たものは、わけのわからない知識だけではない。もっとわたしの人生において大切なこと、「知ること」にたいする楽しさというものを、知ることができたのは、なににもまして幸いなことである。一冊の本だけではわからなかったことでも、二冊、三冊と読み進んでいくうちに、わかるようになっていく。この面白さを知ると、本を読むことが、まさに病み付きになる。

 だが、病み付きになった本読みは、不幸である。初期段階の不幸としては、金がたまらない――有り金をはたいて本を買ってしまうからである、本の置場所がない――次々と買ってはくるが、捨てることは決してないからである。だがそのような不幸はまだましである。なにが不幸であるといっても、本屋に行くことができないというのが最大の不幸である。なぜ本屋に行けなくなるのか、その理由は簡単である。本屋に行くと必ず本がほしくなるからである。ほしくなるいうことは、買わずにはいられなくなるということである。結局、なけなしの金をはたいて買ってしまい、置き場に困ることになるのだ。

 だから、あえて図書館というものを利用してほしいと思うのだ。図書館にはまだみぬ本がたくさんあり、また新しい本が次々と入ってくる。もし読みたい本がなければ頼めばよい。とにかく、本を読むということをしてほしいと思うのだ。何も難しい本を読む必要はない。その時に自分が読みたいと思う本を読む、これが最も正しい本読みの姿である。一度にたくさんの文章を読むのが苦手だったら、少しずつ何度も借りなおしながら読めばいいし、もしその本が気に入ったのなら本屋に出向き、買って自分のものにするのもいい。また逆に、自分の好きな本があって他の人にも読んでもらいたいというものがあったならば、素知らぬ顔で注文して宣伝するのもよいだろう。

 図書館は活用しようと思えば、どのようにも利用することができる。せっかく、乙訓高校で高校生をやってるのだったら、あの図書館を利用しないという手はない。私がいたときと変わっていなければ、いろいろな出合いと、いろいろな発見が、必ずあると思う。

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公開日:1998.03.29
最終更新日:2001.09.02
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