占う人/占われる人のために

立ち入らない

 占いで大切なことは、占い師と相談者との距離である。親しい相手だからといってとるべき距離を誤ると、途端に総崩れになるのが占いである。まとめに入って油断したのだろう、ぽろりと本音を漏らしたのがきっかけでそれまでのすべてを台なしにしたことがある。相手の押しを突っぱねきれず、中途半端に受け入れたせいで、しまりのない占いに終始したこともある。

 占い師と相談者の距離、あるいは占いと我々人間との距離のとり方にこそ、占いの善し悪しを決める最初の基本が隠されている。

たいそうな話ではない

 占い師と相談者の距離といって、別段たいそうな話をしようというわけではない。顧客との距離を誤ることで仕事の内容が悪くなるのはどのような職業においても変わらぬことで、すなわち占いであっても相談者に、あたかも友達であるみたいに接してはならないというだけのことである。仮に相談者が友達であったとしても、ひとたび占いに入れば一定の距離をもって接するべきである。

 しかし踏み込まないわけにもいかないのが占いである。まったく相手を遠く感じていれば、占いはまた悪くなる。結局人事に過ぎないことと理解しながら、親身に接しなければ占いは空々しいものとなり、相談者にとってなんの意味もなくなってしまう。こうなれば、当たる当たらない以前の問題である。始めから腰が引けてしまっていれば、なにも掴めないままに終わるだろう。我々占い師は、個別の意識を超えて、占い師の狂気に肉薄しなければならないのである。

 以上にいったように、占い師は他人としての距離を測りながら、ぎりぎりまで近づかなければならない。だが、これがなによりも難しい。特に私にとっては、この上もなく難しいことと思われる。

教訓として

 親身な態度を技術として身に付ける必要がある。失敗するのは親しさを出すからだが、その親しみに自分がとらわれた結果バランスを欠き、つけ込まれることになった。親しみやすさを演出するのは大切だが、一線を引き、踏み込みも踏み込ませもしない領域を確保する。そうでないとただの友達同士の、悩み相談と変わりない。あるいは遊びであればそれでいいのかも知れないが、私はそういうかたちでの占いを望まない。おそらく私の顧客であった人たちも、同じであったろうと思っている。

 距離を確保しつつ、だがよい占いのためには充分に踏み込むことを忘れてもいけない。相手の近くまで寄り、よく相談者の言葉や気持ちを引き出すことで、占いの内容が充実するからだ。親しみやすさは、その手段のひとつとして理解しておこう。あからさまにすれば悪くなるとはすでにいった通り、つまり適度な親しさにとどめるよううまくコントロールする。心からの親しみを見せながら、内心には冷徹な突き放しを抱えておくことで、必要以上に近づくことのないようにし、占いの質を維持するのだ。

 こうした態度は、最初から占いをするつもりで用意していたとき、つまり一人の占い師として相談者に対しているときは、自然にできていた。最初から一介の占い師と割り切っていたせいで、あるいは占い師を演じていたせいで、欲を出さない。この場合の欲というのは、コミュニケーションに対する欲求だ。セッションが終われば、間断なく次の顧客に移っていく。こうした中では、気を緩める暇もなかった。それがよかったのだろう。

 対して、気を緩めがちになるのは、占い師としてではなく一人の知人として占いを行うときだ。こういう条件では失敗しやすく、友人、知人を占う場合だけではない。馴染みのお客を相手にするときでも、占いの場を離れて失敗する。先にもいったコミュニケーションへの欲を出したためであり、占い師を演じきれていないせいである。これが私の甘さであるのだ。

 だから私は肝に銘じる。占い師に必要なのは、どのような条件下であっても、一介の占い師としての機能に染まる割り切りと知るべきである。

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公開日:2004.07.23
最終更新日:2004.08.27
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