直接にはギターに関係の話なんだが――、まあいいか、書こう。
最近、声域がちょっとだけ広がった。いや、それは勘違いだったんじゃないか? ところがそうではないのである。実際に声域が高音に向かって少し広がった。やはり毎日のように歌うというのは大切なのだと思ったよ。
私のレパートリーは古い。『22才の別れ』とか歌ってるし、こないだまでは『なごり雪』とか歌ってたし、『オーヴェルニュの人にささげる歌』も『脱走兵』も最近の歌ではない。加えてこのごろ練習しているのはさだまさしの『精霊流し』だ。古い。もう本当に古い。けど、古い歌っていうのもいいもんなんだな。
さて、さだまさしの歌は一概に音域が高めである。高いGくらいは普通に出るし、Aなんてのも珍しくないから、私が歌えばもう絶叫だ。でもさだの歌はしみじみ歌うからいいのであって、絶叫するもんじゃあない。だから、昔ピアノで弾いて歌っていたときは、半音だとか1音だとか低く移調していた。
ギターで移調は簡単である。カポを使えばいいのだ。カポをはめれば1音でも2音でも簡単に調を上げることができる――、ってそれじゃ駄目だ。
ギターで半音下げて弾くのは大変である。ピアノならば目の前の鍵盤をひとつふたつシフトして弾けば済むだけの話だが、ギターはコードワークの問題があって、C#マイナーの曲とかちょっと弾きたくない。どんなコードになるのか想像もしたくない。というわけで、私は面倒なことは考えたくないので、半音移調するくらいなら、チューニングを半音下げて弾く。
こういう面倒くさがりなので、移調しないまま歌っていたら、高い声も出るようになったのだ。結果的に半音だとか1音だとか下げて歌っていたときは当たり前として、うちで練習するときにも出るようになっていた。やはり練習は困難を乗り越える。
知らない間に半音下げで歌っていたのがよかったのかも知れない。半音下げで歌うことで、出ないはずの高音が出るようになった。実際には出ていないのだが、本人は歌えているつもりである。この「つもり」が重要なのではないかと思っている。
私にとって、F#以上の音は苦手という意識があった。昔大学でソルフェージュをやっていたとき、このくらいの音になるとさすがに苦しくなってきて、なんとかごまかして出してしのいできた。一応断っておくと、ソルフェージュはその音程で歌えることが重要だから、声がちゃんと出てなくてもいいのだ。いや、そりゃもちろん出てるに越したことはないけどさ。
出そうで出ない。こういう微妙なところで、苦手意識が育っていたらしい。この音は出ないと思っているから、のどが締まっているのである。そりゃ出るものも出ないさ。だが、環境のおかげで高い音が出たという勘違いが、その苦手意識を払拭した。条件さえ揃えば出ると思った。出ると思ったらのども開くのだろう。実際、どこでだって出るようになったのである。
Aが出るようになれば、後は歌い込んでやればいいだけだ。無理せず出せるようになれば、コントロールもできるようになる。うまく響かせるようにもなれば、歌える曲の範囲が広がるってもんだ。いや、嬉しい話じゃないかね。実際、この高いAくらいの音が男声におけるひとつの分かれ目だと思う自分には、ひとつ山を越したような気分さえするのさ。