全てのギターが不足していますを書いたところ、なんだか無性にAD-35を弾きたくなって、出してきて弾いてみた。その感想。
AD-35とD. カスタム Sは十倍差。一体なにが十倍違うのかというと、それは定価だ。きっちりではないが、おおよそそれくらいの差があるこのふたつの楽器、しかしそれだけの価格差を納得させるだけの違いがあるのだろうか。それはおそらくは、全ての楽器に関わる人が気になるところであろうと思う。安い楽器と高い楽器は、その価格差ほどの差を持つのだろうか?
断言できる。持っている。安価に提供される楽器はコストのかかっていない分、材料に、手間に万全を期すことができない。対して高価な、そして良心的なメーカーによる楽器はというと、よい材を用い、手間をかけて作られている。ここに圧倒的な差ができるのだろう。安い楽器は高い楽器に太刀打ちすることはできない。以前、最初の楽器を手にしたときのことを書いた時、ゴンチチのチチ松村の言葉を引いた。
でも、ギターは弾かなきゃ、ダメなんですよ。高いギターは、高いお金を払ったことで満足してしまう。拾ってきたギターなら「割れてもいいや」としょっちゅう使うから、これが反対によくて、いい音が出るようになるから不思議ですよね。
ゴンチチ「どんなギターでも弾き込むことが大切」『NHK趣味百科 アコースティックギター入門』所収【,16-18頁】。日本放送出版協会,1996年。
これは一面事実であろうと思う。安い楽器であっても、手をかけ、よく音出しのされたものなら、それだけの楽器になってもおかしくない。しかし、高価な楽器が同じだけ弾き込まれたらばどうだろう。
アストリアス D. カスタムをメインに弾いている私には、AD-35の反応は非常に乏しいものといわざるを得なかったのである。響きに豊かさがなく、各弦の出音にもムラがある。高音弦は弦鳴りがあらわであり、低音弦はこもって前に出ない。しかしもっとも堪えたのはクレッシェンドが効かないところだ。歌いながらの伴奏、ギターをクレッシェンドさせようとするのに楽器がちっとも応えてくれない。強く弾く。しかし楽器は鳴らない、音量に変化が見られない。あれだけ加えたエネルギーは一体どこに消えたのか。疑問に思うほどに音が抜けないのだ。
鳴らない楽器を弾くと、鳴らそうとして力がこもる。結果、疲れやすく、体も痛めやすくなる。事実、私は右肩が痛い。
高い楽器がよい楽器にイコールでないことは常に留意すべきであり、また安い楽器にもよい楽器があることは知っている。しかし、良心的なメーカーの楽器を使うなら、価格の差は出来の差を表していると考えて構わないだろう。特に材質が同じ(同系統という意味)であればその傾向は顕著となる。
よい楽器は、弾いていて体に無理がないと感じる。不必要に力を加える必要がなく、表現しようとすることによく応えてくれるため、技術を磨くにも有用であること間違いないだろう。だから、ここで私は巷によくいわれること、初心者こそよい楽器を使うべきということの大切さを思う。初心者だから悪い楽器で充分ということはありえない。悪い楽器は上達を妨げるばかりか、悪い癖のつく原因にもなりかねないのであるから、注意して避けるべきである。