弦を切る話、もうここらでまとめ

 ここ数ヶ月、むやみやたらに弦を切るので、ピッキングの改善までしてみて、そうして今日もまた弦を切ってしまった。そしてわかったこと。弦を切るのは、ピッキングの問題とかいろいろあるには違いないだろうが、それが根本ではない。弦を切るのは、結局奏者である私が、弦の限界を見極められていないことに起因している。

例えばタイヤの例

 レースゲームなんかをよくする人にはわかるのではないかと思うが、自動車が曲がる際にはタイヤのグリップ力をよくよく把握して、その限界を超えないぎりぎりの速度を出すというのが基本である。もし速度が超過し、車の膨らもうとする力がタイヤのグリップ力を上回れば、いよいよ車はスリップしはじめる。うまくすればドリフト気味に流れる程度ですむが、誤ればスピン、コースアウトにもなりかねない。これじゃ好タイムなんて期待できないわな。

弦の限界点

 ギターの弦にしても同じなのだろう。弦にはこれ以上力を加えられると切れてしまうという限界点があって、その範囲ぎりぎりで弾いてやるとおそらく一番楽器は鳴るのだ。しかしそれを上回ると、弦は簡単に切れてしまう。そう、私は限界点を超過しているのだ。

 奏者は弦の耐久力をしっかり見極めて、その範囲内でベストを尽くさないといけない。弦の限界点は、指先の感触でもって確かめるほかなく、だからまさしくこれはタッチの問題なのだろう。一弾一弾に、弦の状態を知る。この指先のコントロールこそが楽器と奏者の関係を左右するすべてだ。

 しかしだ、私が今日弦を切ったとき、ちょっと考えをよそにやってしまっていたのだな。子供の虐待と権利について考えていたのだ。そうしたら弦が切れた。違うことを考えていたからといって、まったく指先に意識をやっていなかったわけではない。しかし切った。確かに、私はあの時を振り返れば、弾弦をおろそかにしていたといわざるを得ないと思う。

まとめ

 弾弦はあだやおろそかにしてはいけない。指先で弦をモニターしていることを忘れず、弦の性能を使い切ることに集中すべきである。

 弦を切ることを怖れ、力を弱めるのはナンセンスだ。時速120キロで曲がれるカーブを、90キロで回るような意気地のないことではいけない。しかしだからといって130を出すのも馬鹿なことで、それにきっちり120キロを出したとしてもハンドル操作を誤れば台無しということも忘れないようにしよう。

 以上、弦を切る話のまとめ。もう弦を切りたくはないし、そのたんびに反省じゃ、きりがないものなあ。


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公開日:2005.07.10
最終更新日:2005.07.10
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