春に別れを歌う

 今日の昼。冬の間は寒さを避けて、サーバラックの林立し、ファンのごうごうと風音をたてるさなかにて練習しているのだが、そこへ通りかかった人が『22才の別れ』を歌って欲しいとリクエスト。その時に、最後だからという言葉が妙に気になって、あとで所属の長に確認したらば、その人は今日をもって別の場所へゆかれるのだという。私も同じような身であって、つまりはひとつところに職を構えず、その時その時の雇い主、点々と職場を変えてゆく流浪の身。件の人は、出入りの業者の絡みの短期で詰めていた人で、だから去るのはあまりに早かった。

 そうした人が、最後に歌って欲しいと私にいってくれた、そのことがとても嬉しかった。私は普段誰のためにも歌わず、自分のためにばかり歌っているのだけれども、今日ばかりはその人のために歌いたいと思い、間違えず歌いとおして見せたいと思って、そしてそれはかなったのだが、その際に間違い怖れて小さく収まるようなことはなかったと信じたい。汗をかきつつ歌った歌の言葉のひとつひとつに意味を読んで、心をのせることができていればと思う。

 聴く人はひとり、歌うのもひとり。けれど、歌はそれで充分だと思う。なにより、私にとっては意味深い時間であって、聴いてくれる人のいるということはどんなに嬉しいことであるだろう。願わくば、その人にとって私の歌がさいわいなるものであったら、とそのように私は思ってやまない。


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公開日:2006.03.07
最終更新日:2006.03.07
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