ポピュラー系の楽譜はタブ譜が多く、左手何弦何フレットを押さえるかが記されたタブ譜は弾き方が一目瞭然で、特に五線とタブの併記されたものなんかは曲もつかみやすくなにより弾きやすく非常にありがたい。ただポピュラー系だと、どうしたわけか指番号がふられていないことが多く、どの弦どのフレットを押さえるのは分かってもどの指でかというそれが分からない。色々試してやりやすい運指を探すんだけど、最初はとにかくこれというものをがっちりはめ込んでくれるくらいがやりやすい。だから指番号が書かれていることの多いクラシック系、フラメンコ系の楽譜は運指のセオリーを学ぶうえで非常に役立ってくれている。
記されているのは押弦する指番号だけではなくて、弾弦する指記号もしばしば。この両方があれば、まずはどのように弾くのかが分かって、ただクラシック系の楽譜でタブ譜というのはまずありえないんだよね。だから楽譜に記されるポジションの表記と指番号が演奏するときの頼みの綱。逆に言えばタブで書かないために、指番号がしっかり書かれるようになっているのかも知れない。
ちなみにギターの指番号、及び指記号は、
となっていて、指記号、小指をchと書いたりすることもあるようだけど、まず見る機会はない。だから左右それぞれ四本ずつしか使わないわけだ。
指番号と違い指記号は音に直接関わる部分だけあって、どの指を使って弾くかという指定がそのままどういう音が求められているかということが分かって便利だ。
一応、建前上、どの指で弾こうが、アップだろうがダウンだろうが、miだろうがamだろうがpiだろうが、同じように弾けなければならないと言うのだけれど、そりゃ嘘――とは言えず、基本は確かにそのとおりなんだけれど、音質を効果的に使い分けようとすれば、指の個性に頼るのが一番早い。
imaあたりではさほどそれぞれ違いはなかろうし、あっても困るだろうけれど、pという指はさすがに特別なので重宝する。太くて重い親指の出す音は、さすがにしっかりとして重く明瞭に丸く響いてくれる。
普段は低音弦を受け持っているpが高音弦を弾くことになるとしたら、それはそういう特別な音が求められてのことと思って間違いないだろう。
ショパンという人は演奏家としてだけではなく教育者としても名を残していて、彼の生徒たちの証言によって、ショパンが楽譜に書き記した運指の指定が現在まで伝えられている。運指というのはピアノにおいても、演奏時の合理性を求めるだけではなく、どのような音が求められているかを明らかにする重要な要素である。特に親指。重さのある親指によって生まれる音は他の四指とは異なってくる。
というわけで、間接的に弦に触れるピアノでさえそうなのだから、直接弦に触れるギターならなおさらのことである。
なお親指で弾く指は、わざわざpをふるのではなく、譜尾を下向きにすることで示される。だもんで見た瞬間に分かる。さすがに便利、合理的なものだ。
そして指番号。こちらは純然たる合理的指使いを伝えるものと思っているのだが、どんなもんだろうか。
ギターは親指を除く四指で弦を押さえ、しかも頻繁に指板上を移動せねばならないわけだから、その時点だけの運指ではなく、前後に続くものとしてそれを捉えなければならない。そのため、その一時だけを見れば不合理と思える運指が生じるわけで、まだ自由に指板を移動できるわけでない私はそう言ったところを把握するにまだ不自由なのだろう。
だから指番号がふってあれば、前後との兼ね合いを見、合理的な運指を学べるわけだからありがたいというのだ。隣り合う弦同フレットを、二本の指で押さえるかはたまた一指を逸らせて押さえるか、そういうことは模索しながら学ぶものだろうが、やはり昔から面々伝えられる合理性というものを参考にしないのはもったいない。さんざ参考にした揚げ句、自分にとっての便利を見付け出してもいいじゃないか。
というわけで、ポピュラー系の楽譜でも指番号がついてくれればいいのに。鉛筆で番号書き込みながら、そんなこと考えることが多い。
下手ながらピアノを習っていた身としては、指番号とは、
なのである。そんなわけだから中指指定に人差し指で押さえに行って訳分からなくなることが多くてちょっと困ってる。
ピアノなんか弾かなくなってもう久しいのに、昔の習慣というものはげに恐ろしいものである。
あと、もうひとつ。三連符の3が紛らわしい。無理矢理中指で押さえに行って、ああ三連符じゃんかと気付いたときには指もう釣りそうだって。
こっちは曲になれないといかん。