『グレン・グールドの音楽思想』

音楽学会例会発表用原稿

 それでは発表をはじめさせていただきます。

 グールドの音楽思想を問う前に、彼にとっての音楽とは何だったかということを、先ず整理してみたいと思います。

 グールドの音楽とはどういうものだったかと考えてみると、これから述べるようなイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。先ず第一にコンサートドロップアウト、このステージからの突然の引退はあまりにも有名です。この、いわば事件についてグールドはいくつものコメントを残していますが、これらのコメントは彼の音楽を理解する上で重要な鍵となるように思えます。

 伝統や正当性といったものに対する反発が、そこから見てとれます。ステージの慣習を破ったコンサートドロップアウトそのものからが反伝統、反正統的な行為でありますし、彼の演奏も伝統や正統的といったものにあえて反した非常に彼独自のものでした。そしてその反伝統というポリシーを支えるべく用意されたテクノロジー論があります。レコーディングテクノロジーが発達した時代を迎え、録り直しの効かないワンチャンスのステージはもう過去のものとなったとの主張です。その主張を裏付けるかのように、複数テイクの切り貼り継ぎ接ぎなどのテクニックを縦横に駆使し作り上げられたレコードを次々とリリースし、のみならずその編集テクニックとそれを使っているということを公言しました。さらにはその編集作業が聴者各々の手にゆだねられることこそ理想だと言い立て、その強弁は彼をしてテクノロジー時代の申し子であるというイメージを、我々世間一般に浸透させたのです。ですが、これらのイメージは本当にグールド自身を語っているのでしょうか。

 また、これは音楽とは少しはずれたようになりますが、彼の普段のスタイルも特異でした。夏でもコート、マフラー、手袋を欠かさず、食事の抑制や、精神安定などのために薬物を利用したこと、そして演奏だけでなく、作曲、著述などに代表されるマルチタレント性、またそれら著作などに顔を見せるいろいろな悪ふざけといったようなものも、彼を特に有名にしていました。

 先ほど音楽とは少しはずれたようになりますと言いましたが、これらの服装や薬物、悪ふざけといったもの、これらは彼の演奏家としての奇矯性、とっぴな部分を理解するための重要な要素なのです。

 彼は体が弱かったと自分で思い込んでいました。なにかしようとすると現実的な要素に邪魔されるという固定観念があったようです。それで彼は自分を安心させるためにことさら気を使っていました。体を冷やさないための、また一年を通じ体に感じる温度を一定にさせようとするコートや手袋はその一例であり、身体の不具合を整えるための薬物類もそんな例の一つでした。これらは彼が音楽を表現するにあたって選んだ環境と密接に関わっています。コートや手袋は外界の変化から隔絶し身を守る手段としてのレコーディングスタジオ、薬物の類は天然自然な反応であったり思うように動かない体の機能をコントロールしたいという欲求の表れとして、曲の細部まで事細かに接ぎ接いで偶然の入る余地のないまでに音楽をコントロールしようとした欲求に同じです。そして彼のエキセントリックな演奏の裏にあるのは自分のアイデンティティへの不安でした。これは彼の作曲に関して持っていた不安を知ることによって理解できます。レナード・バーンスタインが証言しているのですが、グールドは自分の「作ったものがことごとく他人の作品に似ているので、本当に嫌がって」いたのだそうです。この不安が彼にどんな演奏とも違う独自の演奏スタイルを求めさせたのです。いわば彼の奇矯性とは、彼が意識していたかどうかは別として、否応なくそうせざるを得なかった切実な理由があってのことだったのです。

 では彼の奇矯性が彼の身体やアイデンティティにまつわる不安から生じたものだとすれば、真実に彼が望んだ音楽の理想が別にあったと考えてもいいでしょう。そしてそれは一体何だったのかと申しますと「音楽行為」というものにほかならなかったのです。彼の用語法に乗っ取って言いますれば、「音楽自体」に対峙するということになりましょうか。

 その「音楽自体」を求めるということによって聴衆一人一人が自分というものに目覚め、生活そのものを芸術と変えることを彼は望んでいました。

 彼の活動の中でもかなり大きな部分を占めるものとしてラジオ番組の製作というものがありますが、この活動の中で彼が創り出した重要な作品として「対位法的ドキュメンタリー」というものがあります。これは一種のテープコラージュでありまして、グールド自身が採集してきた複数のインタビューを、ことばの意味、韻律の両面から対位法的に重ね合わせていった、非常に音楽的なドキュメンタリー作品です。対位法的ドキュメンタリー作品の中でも重要で、またグールドが心血を注いだものに「孤独三部作」と呼ばれる三つの作品があります。これは呼ばれるとおり孤独を中心のテーマとしておりまして、自ら孤独な環境を選んだ人たちが孤独の中で自己と向き合い、自己の内的な精神性を高めてゆくさまを描いています。また夏目漱石の『草枕』に心酔していたグールドはこの作品をラジオで朗読、さながらそれは「対位法的」に朗読されたと聞いておりますが、自ら朗読しております。この作品のテーマも「非人情」、つまりは孤独と読み替えても差し支えないと思います。この作品の主人公である画工は、「完全たる芸術家として存在」するための基盤となる心を陶冶するために「非人情の天地」を求めます。

 グールドはこの孤独の作用が人を哲学者、芸術家に変えるということと、音楽自体を求めることが生活を芸術に変えるという、これら二つのことを繋ぎ併せて考えていました。彼にとってこの二つは、さながら車の両輪のようにどちらもがそれぞれを支えあって深化、深まってゆくプロセスであったのでしょう。

 さてここでグールドの言葉を引用しておきましょう。1966年に発表された『レコーディングの将来』という論文で彼はこういいました。「存在しうるあらゆる世界のうちもっともすばらしい世界では、芸術はなくてならないという存在ではなくなるだろう――ちょっと長いのではしょらせていただきますが――そういう世界では――芸術を生む際に職業的専門化が起これば僭越な行為となる。聴衆が芸術家であり、その生活自体が芸術となるだろう。」

 この引用からもわかるのですが、彼は万人が芸術家である世界を理想としたわけです。そしてその万人が芸術家となるための手段として、彼は、最初に述べましたような、聴者各々が、与えられた音楽の断片をもって、自らの望む音楽を自ら編集するという「キット」としての音楽を呈示してみせたのです。グールドはこの「キット・コンセプト」こそが、ルネサンス以降の音楽の階級構造――作曲家、演奏家、聴衆という区分――を打破するものだと主張していました。聴衆も音楽に深く関わることができるようになる、そしてそうなればこそ万人が芸術家となり得る。そう、つまり先ほどの聴衆が芸術家となる世界というものは、キット・コンセプトの行きつく先に在り得る世界として主張されていたのです。

 この「キット」というアイデアは、おそらくレコードを製作している時に考えつかれたのでしょう。様々なテイクを切り貼りして新しい解釈、より良い演奏を創り出す面白さを、それこそ万人の楽しみとしたかった。けれどこの作業が聴衆を芸術家に変える最良の手段であるとはきっと彼も思っていなかったでしょう。というのはグールドにとって、もっとも大切な「音楽自体」に迫る手段はもちろんのこと、ピアノ演奏でした。ですが一般の人たちはピアノ演奏をなりわいとしているわけではありません。そんな状況を鑑みて彼は、自分のピアノ演奏に変わるものとして編集による音楽へのアプローチを提言したのでしょう。いわばそれは方便として、自己自身そして音楽自体に立ち向かうプロセスの中で芸術に目覚めるということのメタファーとしてあったのです。

 また、彼の言わんとすることは彼の実際に口にしたことだけではなく、彼の演奏自体にも満ちています。彼の演奏は独特の、時には批評家から「結局のところ、気違いだ」とまで言われたような、強烈な個性をたたえていました。その個性というものは彼のアイデンティティへの不安がためであったと先ほども申しましたが、あにはからんやその他との違いを求めた結果、音楽は著しく異化されて私たちの前に新たな姿、未だ知られていない様相をあらわに出現します。そしてその演奏の異化作用が、私たちにあえてまたその作品の根源に立ち帰る決意をするようしむけるのです。

 このように彼の演奏は、彼が音楽自体へと向き合った結果であるとともに、聴取という行為の中に音楽自体と向き合うよう私たちに求める、彼の思想そのものとしてありました。彼が実際に語ったこと、つまり孤独や音楽自体に向き合うという行為が人を芸術家に変えるという言説とともに、彼の演奏そのものが思想として結実していた、と結論することによって発表を閉じたいと思います。


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公開日:2000.08.22
最終更新日:2001.09.02
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