児童サービス論

公共図書館における児童奉仕の意義を要約せよ。又よい児童図書のもつ条件についてもまとめよ。(含絵本)


 夏休みに公共図書館へいってみると開館直後だというのに児童室に子どもがあふれていた。彼らを観察してみることは、すなわち何が児童奉仕において大切かということへの理解を深めさせる。彼らが第一に求めているものは本であり、それも彼らが面白いと思う彼らにとっての良質な本である。彼らは書架の間を走り回っては(注意され)自分の興味を引いた本をピックアップして、読んでみる。彼らの興味はまず有名なキャラクターやシリーズものに向けられている。例えばそれはアンパンマンでありずっこけ三人組であり、クレヨン王国である。これらはどれもテレビ化されているが、このメディアに乗ったということと原作の人気とが相乗的に作用しあっているのだろう。そして彼らの興味は面白そうな本――題名が面白そう、興味のあるジャンルである、なんとなく、といったものに移っていく。まず彼らにとって図書館とは出会いの場であるのだ。

 本との出会いを保証する場として図書館があるというのは、児童大人にかかわらず重要なことである。「知る自由」や「知る権利」とまでいわずとも「知りたい」という欲求があり、知識への刺激を求めるならば、その知識への欲求を充足させ得る書籍を手にとることは不思議なことではない。問題はこの本を求めた際、どれだけの本に手が届くかということなのだ。自分の欲求を満足させるに足る本がなかったり、さらなる欲求を促進させ得る本がなかった場合は不幸であるといえるだろう。このことが本に対する興味や信頼を失わせるに到ったら、彼は自己啓発や学習機会の一つの手段を失うことになってしまう。この様な不幸が起こらないよう蔵書は様々な多様性をもって構成されなければならない。まずは自分の興味を満足させる本であり、自分の興味を促進させる本であり、自分の思ったところを確認できる本であり、自分の思ったところを疑問視できる本、これらの本がいろいろな方面から彼らに働きかけ、また彼らからそれらの本に働きかけるチャンスを多く作るよう留意しなければならない。

 様々な本に出会い、ふれあうことが彼らの自己というものを陶冶するならば、彼はさらなる本との出会いを求めることになるだろう。ならばその様な自己を陶冶する体験を彼らが本から得るよう手伝わなければならない。もちろんこれは本を無理に与えるのではなく、本が図書館にあることを知らせ、彼が図書館でより良い本と出会えるような環境を作り上げるよう心を砕くべきである。すなわち本が彼らを育てるのである。ならば、図書館がなすべきこととは彼らに働きかけ彼らを育てる環境、書架をいかに育てるかに終始する。

 さてそこでよい児童図書とはいかなるものかと考えると、適切に言葉が使われており豊かなイメージを呼び起こせるもの、を上げたい。このうち、適切に言葉が使われているとは誤字脱字や文法的問題或いは差別語等の問題ではなく書法についてである。言葉の力が充分に発揮されておりしっかりとした描写力をもつ、その言語独自の魅力を引き出しているものが望ましい。また豊かなイメージを呼び起こすとは、言葉と絵、双方或いは一方のみによるイメージの喚起が豊かであるかどうかを問題にしている。絵本ならば絵がどれだけの語りかけをなせるか、また絵と言葉が相まってどれだけの効果が得られるかである。

 内容面でいえば、教育や躾という目的を全面に押しだした教条的なものはいただけない。むしろそれよりも問題を提起し読者に考えることを促すものが、本の機能としても、図書館が提供する本の条件としても望ましいだろう。なによりも人に働きかけるだけの力がもった本が必要である。


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公開日:2000.08.23
最終更新日:2001.09.02
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