図書館概論

「生涯学習時代に向けての公共図書館の在り方について論ぜよ」


 近代における図書館は元来、その設立の動機からして、生涯学習を支援するものであった。十八世紀にベンジャミン・フランクリンを中心として設立されたフィラデルフィア図書館会社、同じく十八世紀末イギリスにおいて、当時力をつけはじめた労働者階級が求めた職工学校に生まれた図書館。この近代公共図書館の先駆けといえる二種類の図書館は、自己啓発を目標とし高価で個人では購入できなかった書籍を共同購入したこと、或いは、経済的な向上と政治の権利の獲得、闘争のために教育を求めたことなど、まさに個人がよりよい自己を求めて行われる学習、すなわち生涯学習への欲求が近代的な図書館を生んだのである。

 だとすると、本来においてより生涯学習を支えるべく生まれた公共図書館は、生涯教育の必要性、重要性が叫ばれる昨今においてはいかにあるべきなのであろうか。

 図書館が目的とすべきところとは、まさに「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」が述べる、「すべての国民」が有する「いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利」を「社会的に保証すること」、「すなわち知る自由を保証することである(1990『図書館ハンドブック』第五版,490頁)」。このために図書館は、宗教や政治、特定の思想に基づく図書の偏向を避け、新旧を問わない広範な、あらゆる分野にわたりよく整理された蔵書を持たなければならない。というのも、図書館というところは図書館を訪れた利用者が自身のテーマ、目的に応じ自由に資料を借り出すことの出来る場を提供する施設であるからだ。図書館自体に偏向があれば、利用者は彼の求める資料を手にすることは出来ず、つまりこのとき彼の「知る自由、知る権利」は疎外されてしまっているというほかはないだろう。このように図書館は各利用者のニーズに答えられるよう、広範であり、偏りのない、かつ体系的な蔵書を持つ必要があるのである。

 以上が現在、公共図書館で一般的に行われている、知る権利、知る自由の保証、利用者の生涯学習を支援する営為の基本といえるものだろう。

 しかし、現在においては既に、以上のことだけでは公共図書館の公共図書館足る由縁、利用者に多様な知識、資料を供給し、利用者の求める情報を提供することが困難となっている。これは近年、激しい勢いで革新される技術が生み出した、メディアの多様化がその原因である。

 現在出版或いは販売され、われわれの利用に供されるものは、旧来の書籍のほかにCD、ビデオ等の視聴覚資料、さらにはそれらに加え、主にパソコンで利用されるCD−ROM、特定のメディアとしての形態を持たないネットワーク上に存在するインターネットにおける資料なども含まれる。

 公共図書館の目標とは自己啓発の支援であり、自己啓発支援を目標とし生まれた図書館会社がなしたこととは個人では購入できない資料を個人に代わり購入し、利用者に供することであった。その当時自己啓発に求められた知を伝達する資料がまさに書籍であり、各種パンフレット、リーフレットであった。そしてそのために図書館は図書を集めたということが出来るだろう。

 しかし現在では知を伝達する資料、すなわちメディアは図書だけに限定されず先に述べたニューメディアも含めた多種多様の形態を持つに到っている。

 この様な時代において図書館がなすべきこととは、「図書」館という名に囚われることなく、各種メディアを広範に扱い、利用に供することのできるメディアセンターとしての図書館像を築くことであろう。

 現在、パソコンが急速に普及しているといわれてはいるものの、パソコンの利用、普及は全体としてはまだ一部に過ぎないものであり、各家庭において普通に利用できるという性格を持つまでには到ってはいない。このことは、高度情報化社会といわれる現在において、パソコンを利用しその恩恵にあずかっている者と、そうではない、パソコンを所有していない者及びインターネット等、新しいメディアを供するための環境を持ちえない者との情報格差を著しく生じさせ、情報弱者を生み出す契機となっている。

 この情報格差を是正するためには、すべての利用者が同じく知る自由、権利に基づき自己の求める情報、資料を得ることが出来る環境を、図書館が率先して整備する必要があるだろう。これはすなわち、個人では購入できない資料を代理購入することによって始まった図書館が、個人の代理として情報にアクセスできる環境を整備、提供するという新たな発想を得ることにより、図書を保管し貸し出す施設という旧来の図書館のイメージを脱し、あらゆるメディアを通じ利用者の求める情報へのアクセスを可能とする、新たな図書館へと変貌するきっかけとなるかもしれない。すなわち今図書館に求められているのは、図書館におけるぱらだいむの一大変換だといえるだろう。

 しかし現在においても既に図書以外の多くのメディアを取り扱い、利用者に提供している図書館も数多い。例えばわたしの住む長岡京市から車で三十分強の距離にある茨木市立図書館は、図書、雑誌などの資料のほかに、CD、ビデオ、LDなどの視聴覚資料を数多く取りそろえ、さらには複製絵画を収集、貸出に充てていたのが印象的であった。

 これからの時代においては自己啓発のかたち、生涯学習という言葉が包摂する内容はかなり広範にわたるだろうことが予測される。というのは、学習というものが学校式教育から脱却し、旧来の学問という狭いカテゴリーからも自由になった、個人が自身の視野を広げ生活を豊かにする営為そのものとして、行われるものになるだろうからである。

 この様な意味からすれば、茨木市立図書館で行われている様々な資料を取りそろえ提供するという姿勢は、まさにこれからの利用者本位の生涯学習契機を支援しうる、先進的な活動であるといえるであろう。

 しかしここに問題が存在している。この、茨木市立図書館で行われているような、広範な資料の収集、貸出は一部の図書館における特殊な例であるといわざるを得ないためである。

 図書館活動に力をいれている自治体とそうでない自治体の、それぞれの図書館がもつ格差は想像以上であると思われる。片や図書のみに関わらず広範な資料を所蔵、貸出していると思えば、片や蔵書の回転もままならず、図書の貸出の冊数でさえ少ないという図書館さえあるのだ。

 今是正されなければならないのは、この様な図書館間格差であるといえるだろう。一部の住民には可能である広範な知、資料へのアクセスが、ある別の地域住民には不可能であるという格差は、本来あってはならないはずのものである。

 この様な格差を是正し、また新たな図書館像を生み出しうる改革を促進するには、まず行政が動く必要があるだろう。これからの図書館が利用者に供する活動のガイドラインとなるものを作成し、より利用者本位の、メディアリッチな図書館の育成に当たる、そして利用者からも様々なメディア、資料にわたる新たな需要を呼び起こしていく、この様な図書館の原点に回帰することが、今こそ必要なのではないだろうか。


ある日の書架から トップページに戻る

公開日:2000.08.23
最終更新日:2001.09.02
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。