かっこいいだなんてこと、いわれなれてない

 以前、友人に会ったときのこと。一緒にいた女性が私を見て、かっこいいだなんていうのだ。さわやかな感じがしてかっこいいって。正直私はその娘の将来を案じてしまった。というのもだな、かっこいいだのさわやかだのっていうのは、私の人生にはかかわりあいのないことでござんして、それこそ私の知る限り何周回っても自分の出番はないだなんて思っている口だから。でもそういうこといわれるのも悪い気はしないやね。とはいえ、やはりなれていることではないので、ちょっと落ち着かない。とりあえず友人には、ちゃんとしたよいもの美しいものに親しむようにアドバイスしておいてお呉れとお願いしておいた。

 さてその友人のもたらしてくれた情報によると、件のお嬢さんは私が佐々木蔵之介という人に似ているといっているらしく、残念ながら私はこの人のことを知らない。所属事務所の公開する情報を見てもピンとこず、似ているところといったら出身地くらいかね。あと身長か。でもなんか、こうやって似ているといわれると、蔵之介にはすまないなあとか、ファンの人たちにもすまないなあとか、しかし私はどうしようもないネガティブ思考だな。

 こんなネガティブな発想をしてしまうのは、ひとえにいわれなれていないからであるのだが、実際いわれなれている人からすればなんてこともないことなんだろうね。当然自分はかっこいいと思っているわけだから、堂々としている。いい循環がある。私はそんなこと思ってさえいないから、しょんぼりしている。辛気臭い。寂しげだ。いや、辛気臭さや侘びしいたたずまいは結構気に入ってるからいいんだけど。まあ、こちらは循環しないからいいもわるいもなさそうだ。

 かっこいいと思い込んでやっている行動が空回りしている。こうしたみっともなささえなければ現状のままでかまわない。で、たまにかっこいいだなんていってくれる人がいる。ちょっと嬉しい。それだけでまったく充分だ。


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公開日:2006.02.05
最終更新日:2006.02.05
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