字を書いた後は馬鹿になる

 習字はよっぽど集中力を使うみたいで、字を書いた後はほんと使い物にならないくらい馬鹿になってしまっている。これだけ頭をくたくたにして、あれしきの字しか書けていないという事実がつらいが、実際あれが自分のキャパシティいっぱいなんだから、事実は事実として受け止めよう。

 習字が疲れ果てるのは、やっぱり一発勝負だからだろう。無論人生からが一度きりで、一発勝負は習字に限ったことではないのかも知れない。けれどほんの少しの心の揺れで台無しになってしまうのだから、習字は厳しい。当りもなにもつけずに書き出して、その緊張感を最後まで、できるだけ均一に維持していかないといけない。これが難しいのだ。

 字を書こうという日は朝からすっかりそのつもりで準備して、余計な引っ掛かりがでないよう気を使って生活する。できるだけ人を遠ざけるようにして、特に書く直前はそうだ。自分は人間ができておらず、些細なことでくさくさして引きずる。書くときに落ち着かず、字に影響するのだ。だからできるだけ平穏に平穏に、なにも起こらぬよう暮らす。

 と、こうまでして準備しているのに、書いている途中に邪魔が入ったりするからかなわない。急ぎでもなんでもなく、テーブルにでも置いておいたらいいじゃんかというものを、わざわざ書いている最中にいいにくる。わざわざ別室に引きこもって書いているというのにいいにくる。これだけのことで荒れる。字に影響する。一度荒れればなかなかもとには戻らない。自分はなんでこうまで人間が小さいのだろうと思うが、そもそもなにか表現行為に関わろうという人間は内に嵐をはらんでいるものだから、自分だけのことではあるまい。字を書くあるいは音楽にむけられる衝動は、ことごとく荒ぶる心魂を慰撫するためといってかまわない。

 そういえば音楽も一発勝負でやり直しがきかない。よりにもよってこういうのばかり選ぶところに、自分の性質が出てるんだろうな。


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公開日:2004.09.15
最終更新日:2004.09.15
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