旧い世間のきしみ

 近鉄合併問題において、ライブドア社長に向けられた「知らない人」発言。このひとことで、野球界は野球界という狭い世間の内々でのみ動いていることが暴露されたわけだが、先国会でも有権者を「知らない人」呼ばわりした議員がいたことを忘れてはいけない。

 国会という国の動向を決める重要な場においても、世間が生きていることが分かる。その議員は、具体的に思い浮かべることのできる誰かのみで構成された世間(及びその利害)を問題にし、外の社会や国勢に注意を払おうとしない。大局を見ず、自分の所属する世間に利益がもたらされるかいなかに終始する。こうした態度に政治家としての資質があるかどうか、問うまでもない自明のことだ。

 政治家は選挙地盤としての世間と派閥としての世間、ふたつの世間に生きている。某議員の「知らない人」発言は、地盤以外の人間を等閑視する意識の現れであり、裏返せば、強力な利害関係で結びついた地盤に支えられていると、自ら明言したのである。一般に組織票を持つといわれるタイプの政治家は、こうした直接的な利害関係に基づく同胞――彼の所属する世間にのみ目を向けている。彼らの言葉が、徐々に世間から離反する傾向にある若者に届かないのは、もとより当たり前のことなのだ。

 しかし、こうした世間意識を脱しようとする政治家も少なからずいることを私たちは知っている。彼らの答弁には、阿部謹也が政治家に欠けているといったユーモアにあふれていた。彼らの言葉は、未成年者も含めた国民に充分訴えうるものであり、結果として政党は彼らの意をマニフェストに盛り込むことになった。あの日、私は、旧い世間の前に屈しながらも、風穴を開けようとする彼らに、ネットを通して立ちあったのである。

 そして選挙である。旧い世間に取り巻かれる政治家にNoを突きつけるチャンスが来た。棄権、無効票では意味がない。有効票を投じて、はじめて意味が生まれるのである。


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公開日:2004.07.11
最終更新日:2004.07.11
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