死ぬかと思いました

インフルエンザ顛末

 風邪かと思ったらまさかのインフルエンザ。甘く見たわけじゃないんですが、独力で直そうと思ったら、死ぬような目にあいました。その顛末。

発端

 発端は微熱でした。

 土曜日、ギターの練習中に三弦がブリッジのところからぶっつりと切れまして、いや、これが災いの始まりといいたいのではなくて、すぐに弦を張り替えたにもかかわらず、そこで途切れた練習への意欲はもはやよみがえることがなかったというのが本題です。失われた意欲は翌日曜日にも戻ることがなく、一日iTunesにCDを読み込ませたり、なんだかだるくて昼寝したりと、この時からしんどかったんですね。夕方に熱を計ったら、七度の熱がありました。

 風邪のときには風呂がいいとセヴェリーノもいうから、軽く風呂を浴びて寝ました。すると、翌日には熱が上がってたんですね。

 しかし、この時点では、鳥インフルエンザの可能性も頭の隅にとどめながら、ただの風邪だろうと思っていたのです。

当初の状況

 初期の症状はのどの痛みと発熱だけだったので、静かに寝ていれば充分治癒するだろうという楽観的な観測も立てることができました。脱水を防ぐためにスポーツドリンクを用意して、欠勤の連絡を入れて寝なおす。熱も三十八度前後と落ち着いていたため、おかしな夢は見るものの、普通に眠ることができていました。

 この三十八度くらいという熱はおかしなもので、意識が活性化するというかハイになっているというのか、思考が活発になって、普段なら出ないような発想やなんかがどんどんと出てくる。本人は面白いと思っているから、それをまとめて更新にとかいろいろ考えるのだけれども、コンピュータに向かうだけの余力はもとよりないからそれはただただ浮かんでは消えていくばかりになって、けれどきっとそうして表立たずにひっそりと消えていった方がいいに違いないのです。誰かを惑わすこともないし、なにより自分が笑いものにならずにすみます。

 病気になると熱が出るというのは、発熱をすることで病原菌やウイルスの活動を押さえることができるから、ということらしいので、今回は熱を出して自然治癒させようと考えていました。のどの周りに集中的に熱っぽさがあるのは、ここが免疫系と病原体との激戦地になっているからなのでしょう。発熱することで治癒を促進できるのなら、食べて寝て体力を維持し、水分をしっかりとって脱水を防ぐことで、免疫系を後押しできそうに考えていました。

急変

 この状態は、二日目に急変します。昼過ぎごろに突然熱が上がりはじめ、三十八度台まで上がってからは起き上がるのもしんどく、けれど水を飲みに起き出しては、行きたいとも思わないトイレにも行って、夜には粥を食べただけで、テレビを見るのも辛い、話なんかできるはずもない、それほどしぼんでしまいました。

 けれどこれだけ熱が出ているのに汗を全然かかなかったというのも奇妙で、不調のためなのでしょう。夜、寝る前にフットバスを試みました。大きなバケツに薬草湯を入れて、熱湯を差して温度を保つというシンプルなものなのですが、これが結構いいのです。ですが、その日は効かなかった。汗もじんわりとかいただけでしっかりとは出ず、不満足な結果に終わってしまいました。

 大変だったのはその夜です。もう、死ぬかと思った。熱がどんどん上がって、あまりにも熱が上がって頭がぐらぐらするから氷まくらを用意しました。高熱は断続的に出るらしく、比較的ましなときとどうしようもなく辛いときが交互にあって、辛いときにいたっては、氷まくらで頭を冷やさないことにはまんじりともできず、冷やしても全然眠れない。頬の布団に触れているところに熱がこもって、ものすごく熱くなって我慢もならず、鼻の奥は鼻血が出そうに痛い。あまりに辛いから冷蔵庫に座薬を探すのだけれども見つからず、多分使わないと思って捨てたんでしょう。最後にはねぎを使おうかとまで思いましたが、そこまでの気力がないので試さずじまいでした。

 明け方五時頃に随分楽になったので、ああ熱が下がったと思って計ってみたら三十八度五分を超えていました。けれど全然しんどくない。まるで平熱みたいで、この熱でそう思うというからには、きっと一番辛いときは四十度くらいあるいはそれ以上だったのでしょう。

 熱の高いとき、眠れないのが辛かった。寝たと思ってもすぐに覚める。眠っていたのかどうかも分からないし、同じような幻覚みたいのをたくさん見て、頭が沸騰しているみたいでした。もし体力が落ちていたり、栄養状況が悪かったり、また脱水状態に陥っていたりしたら、もっとひどいことになったのでしょう。ああ、インフルエンザは死ぬ病気だと思いました。正直、脳が蛋白質に変質してしまうんじゃないかと心配しました。どんなときにも比較的冷静なのが僕ですが、もう少し熱が上がったら錯乱したのかも知れません。

病院に行く

 地獄を見た翌朝、熱が三十八度五分から下がっていないのでまた欠勤を決め、今日こそは病院に行こうと、食事もとらず出立しました。

 目指すは近所の総合病院。一番近いのがここというのもありますが、大病院が好きということもあり、歩いて十五分くらいの距離、最初はバスでいこうと思っていたのにもかかわらず、面倒くさくて待ってられないので熱を押して歩いていきました。

 けれど、昨夜の熱がよっぽどひどかったからだと思いますが、熱をまったく感じません。もともと熱には耐性があるというか鈍感なたちなのですが、それにしても八度五分出てて平気というのはたいがいです。一体昨夜、何度出てたんだろう。

 総合病院に着くとどうやら方針転換があったようで、紹介状を持たない場合は千数百円余計に払わなければならなくなったそうです。千七百円くらいだったかな、正直ちょっと値段が大きすぎると思ったので、ここからまた徒歩で移動です。次の目的地は駅前の医院。どうせなら寝込んでる間に発売されて買えなかった四コマ誌を買いながらいきましょう。

診察

 平日の病院、開院直後を攻めたにもかかわらず人がいっぱい。年寄りばっかりです、びっくりしました。お年寄りたちはかなり前から待っていたのでしょう。一時間ほど漫画を読みながら待って、途中でしんどくなってきてそれでも待って、ようやく順番が回ってきました。

 診察は非常に簡単なものです。聴診器で呼吸器をうかがい、のどを見て、鼻から綿棒を使ってウイルスの検体を採取して(ちょっと痛い)、十五分後に結果が出ました。結果は、見事インフルエンザです。A型でした。最近はよい抗ウイルス薬があるそうで、朝夕にカプセルを一錠ずつ。後は錠剤とせき止めのシロップが出ました。

 帰りもまた徒歩で三十分。帰り着いて粥で朝食を済ませ薬を飲んで寝ました。昨夜はあんなだったのでほとんど眠れておらず、とにかくこの薬で熱が下がってくれるとよく眠れるようになるだろうと期待しての就寝でした。

インフルエンザの基本知識

 インフルエンザの潜伏期間はおよそ二三日らしいのです。発病の二十四時間後くらいから活動を活発にし、そして四十八時間以内に増殖のピークに達するとのこと。今回の僕の経緯をみると、きれいなインフルエンザ感染の典型であることが分かります。多分金曜くらいに感染して、土曜日曜が潜伏期間になり、月曜に症状発現、その二十四時間後の火曜日に急に悪化したかと思うと、その夜には熱のピークが来ている。ということは、病院に行ったのは少々遅く、峠を越して後ということになるのでしょう。

 今回処方された薬は、タミフルという抗インフルエンザウイルス薬でして、朝晩二回の投与、だいたい五日間連続で飲むのが基本のようです。タミフルはインフルエンザの薬としては世界初の経口薬らしく、多分画期的なもの。だって、こんなの出てるなんて知りませんでしたから。知ってたら始めから医者にかかっておりました。

 さてタミフルはなにをするのかというと、ウイルスの増殖抑制なのだそうです。ウイルスを殺すのではなくて、それ以上増えないようにする。ウイルスを始末するのは、人間の免疫の働きにまかすのでしょう。たしかにウイルスが増えなければ、免疫、人間側の戦いも随分楽になりそうです。ましてウイルスの増殖がピークになる前なら、タミフルの援護はさぞ有力であることでしょう。

 そういえば、お医者がいっていました。この薬は、症状が出てから二日目までくらいに飲むとよく効きますよって。ああ、そういうことなんですね。やっぱり僕は医者にかかるのが遅かったようです。

 でも、ピークは過ぎたとはいえウイルスはまだ残っているわけで、タミフルはきっと役立ってくれたのは違いないのです。

インフルエンザからの恢復

 薬を飲んで翌日くらいには熱が引くが、決して無理はしてはならない。お医者にはそういわれていたのですが、なにぶん僕は人の話を聞かない。実際薬を飲んだ日から病状は急に改善して、翌日には微熱がみられる程度にまで恢復したのでした。だから、人の迷惑も顧みず出勤しました。いやあ、実際迷惑だろうとは思うんです。ですがそのへんはちゃんと考えていて、咳はないので感染拡大の怖れは少ないと判断し、より以上を求めてマスクを終日着用するという念の入れようでした。

 熱が下がったといっても三十七度は超えていました。けれどあの夜を過ごしたせいか、まったくしんどさなんて感じません。けれど無理をすればまた熱も上がるかも知れない。手探りするみたいに、ちょっとずつ日常のことをして、あまり負荷がかかりそうなものには手を出しませんでした。なにしろ、仕事という一般世間に出ることを優先して、ギターという個人的精神世界への復帰は週末になるまでお預け。実際ありえないくらいの殊勝さです。

 木曜に復帰して、翌金曜日がもっとも辛い一日でした。前日の疲れが残ってるのでしょう。ぐったりとした重さが一日のしかかってくるようで、なんとか仕事はするけれど、いつもとは比べようもないスローペースでありました。そうした状況は土曜日曜になっても一気に恢復するわけじゃなく、少し頑張って疲れれば微熱を出し、休んでちょっと眠って、そういうゆっくりした時間を、できるだけ長く感じられるような取り方で過ごした休日でした。

得られた教訓

 今回得られた教訓は以下のようなもの、というか風邪引くたびに思っているような気もしますが、それは気のせいというものでしょう。

  1. 早め早めの通院
  2. 新薬は日々開発される
  3. 高熱は死に至りうる
  4. もう大病院にはいけない
  5. 日中の医院は老人でいっぱい

 なかでも高熱の脅威を再確認できたのはよかったかも知れません。大抵病気になったりすると弱気になったりして、これが一人暮らしでこんな弱った時に看病なんかされたらいちころなんだろうな(だから私は気をつけよう)なんて思うのがいつもなのですが、今回は弱気になる暇も無く高熱でした。

 脱水を避けるためにスポーツドリンクを早めに確保しましたが、これは買ってきてもらったものなので、もし一人暮らしなら手にしてないものでした。備蓄しておくというのもおかしいですが、こういう急の病気に有用なものは少しくらい蓄えていてもいいかも知れない。いや、普段はまったくこういうのを飲まないので、いざというときには賞味期限をすっかり過ぎて、という怖れもあるのですが。今も粉末のスポーツドリンクってあるのでしょうか。粉末のものなら長く持ちそうだしよいと思うのです。なおスポーツドリンクは普通の1.5倍くらいに薄目に作るとよいらしいです。知り合いの看護師がいってました。

 しかし一番大事なのは予防でしょう。栄養をとっておくこと、夜は寝ること、無理はしないこと。なので、僕は個人的精神世界に妥協はしたくないから、世間とのかかわりにおいて少し手を抜こうかと、いやいや、こんなことをいっていてはいけないのであります。


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公開日:2004.02.04
最終更新日:2004.02.13
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