指に触れるということ

 五年の沈黙を破って購入したiBook。実は、これほど沈黙をまもっていたのにはわけがありました。一番大きなわけは経済面での苦境だったのではありますが、それ以外の要因として、あまりに急激に変化するコンピュータの動向にほとほと嫌気が差していたということ、そしてキーボードの問題がありました。

キーボードの問題――配列

 キーボードの問題といっても、単純なことです。昔、一番最初に買ったコンピュータ、Performa550に付属してきたキーボードは、ANCI配列といわれる、アメリカで使われているものと同じ並びでした。ところが、現在日本で売られているコンピュータのキーボードは、おしなべてJIS配列。これは些細なことですが、僕には大きな問題だったのです。

 ANCI配列とJIS配列、アルファベットの並びに違いはありません。ですが、その他の記号類に違いがありました。インターネット時代にはいって急遽脚光を浴びることになった「@(アットマーク)」。JISでは「P」の右隣にありますが、ANCIではShift+「2」の位置にあります。でも、これくらいならさほどの問題はありません。一番困るのは、括弧の位置だったのです。

 JIS配列キーボードでWindows機を操作しているとき、開き括弧を打ったつもりで、閉じ括弧を打つことがありました。一度や二度ではなく、ほぼすべての括弧を打ち間違えたのです。最初はキーボードになじみがないためだろうと思っていました。でも、MacintoshのキーボードもそのWindows機のキーボードも、どちらもフルサイズキーボードで、タッチの差こそあれど、キーの間隔などは変わらないはずです。それでも、括弧に限ってよく間違う。これにはちゃんとした理由がありました。

 ANCI配列の括弧は、9で開き0で閉じるようになっています。ところがJISではどうでしょう。JISの括弧は8で開き9で閉じるのです。この、たった一個のキーのずれのせいで、著しい入力間違いが起こってしまっていたのです。

 このANCIとJISの括弧のずれに気付いた後も、往々にして打ち間違いは止みませんでした。

 これは、ANCIが優れていてJISが劣っているといいたいのではありません。要は慣れの問題、僕の場合、ANCIに慣れてしまっていたのが不幸の始まりだったといえるでしょう。

掘り出してうはうは

 Performa550のスペックに不満を感じ、価格の暴落していたLC630に手を出したときも、同様のキーボード問題を抱えていました。当時、アップルのリリースしていたキーボードはJISキーボード一色であり、ANCI配列にこだわるなら、それこそ輸入品であるUSキーボードを購入するしか手はないといった状況でした。ですが、運のいいことにLC630を購入した店舗で問い合わせたところ、店頭展示品に繋いであったANCI配列の日本語キーボードを、格安で譲っていただけることになったのです。これはありがたいとその申し出を受け、しかも少々旧型のそのキーボードの方が、Performa550に付属のものよりもキータッチの点で優れていたという、本当に掘り出し物で、正直うはうはでした。

 こうして、二台構えたコンピュータの二台ともに、ANCI配列のキーボードが配備されて、もしこれより以後にコンピュータを買ったとしても、このANCIキーボードを流用すればいいと安心しきっていたのです。

 ところが、世の中とはなんと無情なものでしょう。無慈悲にもアップルは、古くからキーボード用のコネクタとしていたADBを切り捨て、USBに乗り換えたのです。実際のところ、この英断は正しかったと思っています。ですが心情的に、手元にある愛着あるキーボードとその配列がもう新しいMacintoshには繋がらないのだというのは辛いことに相違なく、これをして新しいMacintoshに対する興味をも失わしめたのでした。

 ですが、世の中が進むにつれ登場する新たな技術群は、はっきりいってLC630には重荷となってきました。それでもだましだまし使っていたのですが、いずれLC630を現用機として使うには、自分自身大変になってきたのもまた事実でした。そのため、思いきってiBookを購入すると決めたのです。

 だが、キーボード問題はどうする。これについては、おさおさ怠りありませんでした。

キーボード問題――iBookで再燃

 自分と同様、古いMacintoshユーザーには、JISを受け付けないという人が少なくありません。そのためアップルは伝統的に、キーボードをUS仕様のものと換装するというサービスを行ってきました。iBookにおいてもそのUSキーボード交換プログラムは実施されており、僕はこのプログラムにかけたのでした。

 しかし、購入するつもりであったiBook SEに対応するUSキーボード交換プログラムは、開始予定時期を二ヶ月過ぎているにも関わらず、実施されていませんでした。ですが、いずれそう遠くないうちに実施されるものと信じて、iBook購入に踏み切ったのです。購入が2000年6月。USキーボード、グラファイトモデル交換プログラム開始は2000年4月を予定していました。

 iBook購入後、一ヶ月が経過しても音沙汰はありませんでした。こういったことはニュースリリースで告知されるのが常であるため、アップルのWebサイトを日参するようになりました。毎日、いつ告知されるか、今日だろうか明日だろうかと心待ちにしているうちに、季節は秋に変わっていました。

 その、秋のある日に、アップルに宛ててメールを書きました。キーボード交換プログラムを心待ちにする日々であること。JIS配列でも問題なく使えてはいるが、やはり使い慣れたものに敵うべくもないということ。一日でも早く交換プログラムが実施されるようにと、切々と胸の内をつづった文面は、きっと担当係員の胸を打ち、涙を流させたことと信じています。そしてメールが返ってきました。

 もう少し時間をいただきたい。

 そうなのだ。彼らも頑張ってくれている。僕は、彼の言葉を信じて、その日の来るのを待とうと誓ったのでした。

 それから、アップルWebサイトに日参する日々は続いています。季節は幾度も変わりました。巷では、グラファイトのiBookにタンジェリンもしくはブルーベリーのUSキーボードを換装する独自サービスを始めたショップも出ています。

 ブルーベリーのキーボードに換装するのは簡単です。ですが、ここで妥協すれば、彼との約束を守って待ち続けてきた日々は無駄になってしまうことでしょう。なにより、ブルーベリーに換装した翌日に、グラファイトとの交換プログラムが告知されたりなんかしたら、悔しさのあまりきっと腸は煮えくり返ってもつ煮込みみたいになってしまいます。

 なら、まだ待つというのでしょうか。手はJISキーボードに慣れてしまったというのに。

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公開日:2001.09.25
最終更新日:2002.01.26
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