インターネットに自由を見た頃

 インターネットにまだアングラの色彩が残っていたころ、世の中はもう少し明るかったような気がする。ネットに参加しているものは技術者や専門家を除いては多かれ少なかれマニア、おたくといった輩であって、ネットワークを媒介に情報を交換しあう楽しみをひっそりと分かち合っていた。パソコン通信という言葉自体にねくらな印象が色濃く、パソ通やってるなどといえば即おたく扱いである。一般社会に住む人たちにネットワークの意義、その開かれた世界の素晴らしさを説いたところで彼らは端から耳を貸そうとせず、だからネットに関して一般の理解を得ようなんて考えること自体がそもそも無駄という時代があった。

 細い回線で少しでも短時間で多くのデータをかき集めようと、込み合わない時間を狙って接続するのだが、どの時間帯がすいているか人によって説が違っていて面白い。夕食時がよいとか明け方に限るとか、効率よく情報を入手するための情報を交換しあって、切磋琢磨の日々だった。大容量データをダウンロードしたいときの僕のお気に入り時間帯は早朝だった。

 その頃僕たちは自由と無法を履き違えていたかもしれない。一般の目の届かない世界では今ではありえないような情報が簡単に手に入って、僕たちは自由を謳歌していた。目覚ましを午前三時四時に合わせ、空がだんだんと白んでゆく中、28.8kbpsの低速回線で電話代を気にしながらのダウンロードだ。データがメガサイズを超えることなどまずなかったにも関わらず、何十分、数時間とかかる作業だった。だがそれだけの困難を経て、情報はそのもの本来の価値以上に思えた。いや、もう手に入らないそれらを思うと、その価値はなおさら高くさえ感じるのである。

 当時はこれほどネットが普及し、老若男女メールのひとつも使えねば馬鹿にされる時代がくるとは想像だにしなかった。だが衆人に開かれてネットは居住まいを正し、本音を言えば白けてしまった。


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公開日:2003.04.08
最終更新日:2003.04.08
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