出口の見えない悩み

 自分がやっていることに対し、自信というものはなかなかもてないものです。はじめは「これでよい」と思っていたことであっても、なにかの弾みで簡単に揺らぎます。分かっていたつもりで、割り切っていたつもりで、信念を持ってやっていたはずのことだったのに。いったん揺らぎはじめるとそれは止めようもなく、どんどん膨らむ一方です。

 いったいなにが問題だったのか、といいますと、Webページの見た目なのです。

Webページの見た目――視覚的デザイン

デザインを決定しないということ

 僕のWebページのデザインは、今実際にアクセスしていただいているわけですからお分かりのことでしょうが、まったくといっていいほど手の加わっていないものです。それこそ、素のHTMLを表示させたのと変わりがないくらいにシンプル。というか、ほとんどブラウザまかせの無指定状態です。

 なぜここまで素っ気無いのかといえば、長くこの素っ気無さでとおしてきたからだとしか言いようがありません。昔はそうでなかったのです。背景画像を設定してみたり、テーブル(表組み)を使ってテキストの表示幅を指定してみたり、フォント要素でもってフォントサイズや色をいじってみたり。また、Macromedia社のFlashなんかを買って、Flashによるサイトデザインを企てようと思ったこともありました。けれど、それらの試みは、すっぱり捨て去ったのでした。

 これは、どのような環境からでもアクセスしやすいようにという配慮から、ということになっています。長らく古いコンピュータと遅い回線でWebにアクセスしていたため、たくさん画像が使われていたり、新しい技術の用いられていたりするサイトは、表示されるまでが長く、また閲覧もしにくかった。コンピュータが固まることもたびたびだったのです。

 この、長く続いた恵まれない期間に、決定的にひねくれてしまったということもあり、また背景色や文字デザインにこったとしても、それほど効果をあげることが出来ないと思い込んでしまったのが、現状のシンプルさ――デザインを決定しないという状況につながったようです。

アクセスのしやすさ

 では、アクセスのしやすさとはどういうことでしょうか。また、それは視覚的なデザインとは両立しないものなのでしょうか。

 HTMLという言語は、そもそも視覚的なデザインを指定するためのものではないということをご存じの方は多いと思います。HTMLという言語は本来、情報の持つ意味や構造を明確にするためのものです。ブラウザは、HTML文書を開き、与えられた情報の構造を解釈して、それぞれに適したデザインを付与します。

 なので、HTMLに用意された要素のうち、意味、情報の構造を指定する要素だけしか使わなかったとしても、ブラウザは適切に、それらしい表示を行ってくれます。これは視覚的ブラウザだけに関わらず、音声ブラウザなどにおいても同様でしょう。それは、ほぼ今目にされているようなスタイルになります(環境によっては、耳にされているかも知れませんね)。

 では、HTMLを駆使し情報の構造を明確にしたとして、それでアクセスしやすくなったといえるでしょうか。実は、僕はそうは考えません。

 HTMLが情報の構造を明らかにし、ブラウザがそれを適切に表示するといっても、万能ではありません。同じレベルの見出しが設定されていたとしても、文脈や状況によって、強調されるべき順位が異なることもありえます。また、一頁内に多くの情報を詰め込んだ場合、だらだらと冗長に表示され、要点を不明瞭にもするでしょう(知人は、このようなページを指して、ふんどし型と批判しました)。そのようなサイトは、たしかにアクセスするというだけなら簡単かも知れませんが、具体的に情報にアクセスし利用するという観点からすれば、非常に都合の悪いサイトであるといわざるを得ないでしょう。

 このような場合に、文書における意味の構造やまとまりをわかりやすくするためにも視覚的(あるいは聴覚的、それ以外の)デザインは重要なのです。すなわち、デザインはアクセスしやすさに抵触するものではありません。むしろ、アクセスしやすさのためには、積極的に活用すべきものでしょう。

こととねの現状――悩む理由

 では、このサイトはどうなのかと振り返ってみましょう。

 見た目は非常にニュートラルです。それこそ、WWW黎明期を彷彿とさせるデザインであるといえましょう。ページタイトルにあたる大見出しをセンタリング、ページ末尾のナビゲーション用アンカーもセンタリング。後はほぼ左寄せのままです。画像は必要以上は使わないため、また基本的に画像を使う必要のないことばかりやっているせいで、文字ばっかりです。

 普段はこれでいいのですよ。特に不満があるわけではありません。ですが、Webをさまよい情報の渉猟をしているときに、実に適切なデザインが施されたサイトに出会うともう駄目です。ついさっきまではなんの問題も不満もなかった自分のサイトが、一気に色褪せます。このままじゃ駄目なんじゃないかと不安になり、自分のやってることが矮小なもの(には違いないのですけど)に思えて仕方がなくなるのです。

 じゃあ、さっさとデザインでもなんでもしちゃえばいいじゃんか、という意見をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。ですが、ここにひとつの矛盾があるのです。

矛盾

 今のスタイルにも愛着を持っているのです。デザイン的に劣るといいました。実際、劣っているでしょう。ですが、このしょぼいデザインを嫌っているわけではないのです。

 ページタイトルを、大見出し(h1要素)でもって本文にも記述しています。その際、フォントサイズやウェイトはなにも指定していません。そのためブラウザによって、時々は大きすぎますが、時々すごく読みにくいときもあります。本文のテキストに関しても色以外無指定です。そのため、大抵は黒字のゴシック体の中程度の文字サイズで表示されると思うのですが、場合によっては明朝体でフォントサイズは小かも知れません。

 でも、こういうふうな、アクセスする環境で変化するということが僕は好きなのです。

 いったんデザインにこりはじめると、出来るかぎり多くの環境で、同じ体裁で表示されることを望みがちです。最も簡単なのは、ピクセル値でサイズを指定、フォントサイズも固定することです。ですが、こうするとモニタサイズによっては非常に見難いものになりかねません。

 ウィンドウサイズは大抵の場合可変であるため、その横幅に追従してサイズを変えるものにしたいでしょう(サイズ固定のページは、往々にして読みにくいものです)。フォントサイズも同様。読者が見やすいサイズに変更できるようにしたいものです。でも、こういった環境毎に異なる表示を追及すると、なにも指定しないということに、一種の究極のかたちを思ってしまったりする瞬間があるのです。

今後の方針は?

 「シンプルなものほど、より良い」といいます。世界最軽量同盟という、軽いWebページにこだわる人たちの同盟があって、僕は加盟こそしていないものの大いに賛同しています。このようにいさぎよい(あるいは開き直った)思想は僕は大好きで、ある意味、彼らのような主張があるおかげで、こととねも素っ気無い見た目のままで、今までこれたのです。

 ですが、デザインにこったサイトを見ると、はっきりいって打ちのめされます、嫉妬します。こんなふうにしたいとも思います。ですが、そうなると今まであえて貫いてきた、愛着ある素っ気無さを捨てねばならなくなります。それもまた辛いのです。

 では、ここで自分はどうするのか? 向後の進路は? となると、ここで立ち止まってしまいます。

 一体どうすべきなのでしょうか?


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公開日:2001.10.04
最終更新日:2001.10.06
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