さよなら、わたしのことばたち

 Niftyがこれまで提供していたパソコン通信サービスがいよいよ終わってしまうというニュースを聞いて、私はなにやら万感胸に迫る思いだ。今の人にはわからないかも知れない。自分が初めて開かれたコンピュータのネットワークに繋がったという実感を持った場が、今度こそ本当に消えてなくなってしまう。当時はNIFTY-Serveといったっけね。テキストだけのコミュニケーション、トピックごとにフォーラムという会所がもうけられ、そこにはまたテーマごとにわけられた掲示板があった。今でいうなら、フォーラムが板、掲示板はスレッドに相当するのかも知れない。けれど、これらは決してイコールじゃない。あの雰囲気は、なにに例えたらわかりやすいだろうか。

 私たちは、全員がIDという背番号を背負って書き込みして、私は今も覚えているよ。BXM01660だ。思えば、これが私のNIFTY-Serveでの実体だった。けれど我々は思い思いの名前をつけて、その名前で呼び合って、はじめての発言にドキドキしたのもNIFTY-Serveなら、議論に真っ向勝負を挑んでみたのもNIFTY-Serveで、ちょっとの言葉のすれ違いで議論が口論になることを学んだのもNIFTY-Serveだった。チャットで夜を明かしたはじめても、オフ会に参加した最初もNIFTY-Serveだった。あの頃知りあった人のほとんどはもうどこでなにをされているかもわからんようになってしまったのだが、それでも特に仲のよくなった人なら、数人あげることができる。そう、コミュニケーションは断絶していない。NIFTY-Serveという特殊な場を出会いの場として広がったコミュニケーションは確かにあって、それは間違いなく存在していた。ともすれば忘れがちになってしまうけれど。

 数年前、ゲームの攻略について質問を受けて、私はNiftyのTTY会議室に潜り、保存されていた過去ログを探したことがあった。あれは、私にしても感動的な体験だった。アーカイブの中に、言葉たちが読み出されるときを待ってうずうずとしている。私は頼まれた調べものも忘れて読みふけって、そうだ、この文章は確かに当時目にしたことがあったと思うごと心は昔に戻った。そして、きっとこれらの言葉の中に、私が発した言葉もあるのだ。私が参加していたフォーラムの、なかでもとりわけ大切にしていたフォーラムの、その当時いろいろを語り合った人があったのだけど、そのログはいつか取りにいきたいと思っていたな。私の言葉に対する思いやなにかを語ったはず。言葉の向こうには人がいるはずだとかなんとか。今読めばきっと青臭くてみっともない。けれど、若いころにしか書けない言葉もあるのだ。そうした言葉が読まれる機会をいまかいまかと待っていた。

 けれど、Niftyはパソコン通信上で交わされていたコミュニティサービスの書き込みに関しては「残さない」方針を明らかにしているのだそうで、ああ、わたしのことばたちは今日の終わりとともにくだけちってもう取り戻せなくなるのだろう。

 さよなら、わたしのことばたち。どれだけの人に読まれたかわからない、わたしのかつて書いた言葉たちは今日を持って永遠に消え去ってしまう。私はいつか取りに戻るといって、おまえたちを救いにいかなかった。だから、さようなら。アデュー、二度と会うことのない本当のさようならをいうよ。

こととねのNIFTY-Serve関連文書


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公開日:2006.03.31
最終更新日:2006.03.31
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