占う人/占われる人のために

占いに託すべきでないこと

 占いは、その前提に迷いという感情を少なからず孕んでいるため、多く人は占いの結果に自分の進む道、為すべきことが現れることを期待している。実際に占ってみると分かることだが、出た結果に対し、それで私はなにをしたらいいのか、それで私はどちらを選んだらいいのか、などという問いを発する人が非常に多い。迷っていることがある、だからその判断を占いに託したというところだろう。

 だが占いとは、進むべき道を示し、為さねばならないことを告げるものなのであろうか。占いとは、よりよい導き手たりうるのだろうか。

占いは判断しない

 以前、タレントになりたいという学生を占ったことがあった。学校のイベントでそこそこ受けて自信を持っている、私は成功しますかという問いに対し、残念ながら占いは逆の目を出していた。順風満帆じゃないね、むしろ長い下積みと不成功を暗示している。そう告げた私に彼女が問うたのが、じゃあ私はタレントを目指さないほうがいいのですか。

 なにか間違えていると私は思った。なぜここで、自分の人生の判断を占いに、あるいは占い師にゆだねようと思うのだろう。彼女にとって有意義な人生とはなにか、彼女以外の誰も知らないというのに。

 そこで判断を停止しようと思ったところに彼女の負けがあった。占い師は判断しない。傾向をこそは見るが、最後の判断は本人こそがすべきものだ。だが食い下がらず、どうすればいいのか、進むべきか進まぬべきかと尋ねる彼女を、自分の道を自分の判断で進んでみようという意志がなければ、成功するものも成功しない。そもそも占いなどはうたかたなのであるから、どのような目が出たとしても気にせず、むしろ逆境を越えようというくらいの思いがなければ駄目だと、占い師なのに占いを否定するようなことをいう。おかしなセッションだった。

占いの範疇

 占いにできることは、起こりうる出来事を暗示するだけであることを忘れてはいけない。カードは、ただ単に現実を写してそこにあるだけであり、私たちに積極的に関わろうというものではない。

 カードが本質的に寡黙であるとすれば、私たちの側から働き掛けなければならない。カードが示した事象は、解釈されてはじめて私たちの現実に関わることができる。私たちはカードを読み解き、結果を自分たちの世界に引きつける。だがそれもあくまでカードの出目に現実を重ね合わせるのであって、そこから教訓や進むべき道を見付けようという試みとはならない。

 となれば、なぜ占いを教訓を与え道を教えるものと考えるものがあるのか。占いによって導かれた結果をもとに、判断を下し、より理想的な選択が可能となるためだろう。だがこれは占いの機能ではない。結果を受けた我々が行うべきことであり、もっと明らかにいうならば、こうした取捨選択は相談者がなすべきことである。

 自分の人生を自分のものとして生きようとすれば、そこには生きる主体たる本人の意志が大切になる。ならばこそ、人生の選択は人生を送る本人によってなされること、論を待つまでもない。だが、そうであっても、自分の生を他者にゆだねようとするものがある。自らの人生を御する手綱は、決して誰かに譲り渡すべきものではない。もし手放そうとすれば、戦車の逆のごとく人生はままならないものとなるだろう。それは占ってみるまでもなく、人生の帰結を迎えるまでもなく明らかである。

占いの僭越

 占いに自分の生き方をゆだねてしまう。こうした傾向を、占われる側のせいにばかりしてはいけない。というのも、占い師のなかにも、このようにせよあのようにせよと、背負いもできぬ他人の人生に指図がましい手合が少なくないからである。

 占われるときには、占い師の言説にも気をつけてみたほうがいい。言葉の端々から、その占い師の考え方を見てとれる。未見の可能性をカードから読み取ろうという姿勢を感じ取れればなによりだ。だが、多様な可能性を展開するのではなく、ひとつの視点にこだわる風が見えたなら、その占い師は信じるべきではない。このような視点の固着を起こしている占い師にはなぜかひとつの傾向があって、なにか自身の意図のもとに相談者を縛ろうとする嫌いが見えることが多い。本来自由であるべきはずの占いを不自由にして、こうして場は、カードではなく、占い師の歪んだ自己愛に支配されることになる。

 だから、占い師はよく選ぶべきである。占いは神秘や不可思議を売り物にするように思われるものの、本質はそうではない。本当はむしろそうしたものから身を離し、客観的であろうとするものであるから、そこに自意識をみなぎらせているようでは、到底有り得べき結果に近づくことなどできやしまい。いわんや、よりよい選択などできようはずがあろうか。

占いからは距離を置くべき

 言わずもがなのことであるが、占いには一定の距離を置き、深入りしないように心がけたほうがいい。占いにより知れるものもあるが、占いではたどり着けない領域も確かに存在する。占いにのめり込み、自分の人生の選択もすべて占いに背負わせようとする者は、その「たどり着けない領域」に占いで触れようとしている。

 「たどり着けない領域」とは、本人が自らの意思で選び取り、自身の足で進んでいく意志によって開かれる、掴み取られた未来である。よりよい未来、自分の人生の真実は、結局自身の意志で開くほかないものであり、タロットを含むすべての占いはただわずかな示唆を与えてくれるだけであって、それ以上のこと、――正しい選択肢を示したり、すべきことを教えたり、ましてや運を開いたりはしない。

 繰り返しになるが、占いとはただ可能性を暗示するだけのものであり、暗示を現実に重ね合わせるのは解釈者の仕事である。そして得られた結果をもって人生を開くのは、ただ一人、相談者本人でしかありえない。自身の意志によってなした決定こそが、よりよい結果にたどり着く最善の方法と信じ、つまりは人生の選択を占いに託すべきではない。

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公開日:2004.03.05
最終更新日:2004.04.02
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