占う人/占われる人のために

よい占いとはどのようなものであるか

 私はこれまで、特に断りもなくよい占いよい占いといってきたが、一体よい占いとはどのような占いをさすのであろうか。

よい占いのイメージ

 よい占いといわれて最初に考えるのはよく当る占いだろう。事実をよく言い当て、将来をよく予測し、示唆に富んだ占い。加えてなすべきことが明言されるようなものが、一般にイメージされるよい占いだ。占いがはっきりしない現状や未来を知ろうという試みである以上、こうしたイメージは当然といえる。あたかも未来を予知したかのようにはっきりと明晰なイメージが、占い師から告げられる。おおむねこれが一般に人の求める占い師の理想像である。

 この考えは正しいように思える。そも占いとは事物の事実を知るための試みであるのだし、ひいては将来に関しても明確な見通しが立つに越したことがない。だから技術としての占いの良否は、どれだけ当るか、どれだけ深く物事の真実にせまれるかであるのは間違いないといっていいだろう。しかし個人の生き方にとっての占いではどうであろうか。はたしてただ当るということだけで、個人にとってもよい占いであるといいうるだろうか。

個人にとっての占い

 個人にとっての占いは、よく当るというだけでは充分ではない。よく当る占いは、それはそれで価値であるが、個人の意思決定という観点からみれば、むしろ意志をそぎ、占いに振り回される結果を招きかねないものである。自身の希望であるとかあるいは欲望を明らかにしないまま、ただ占いの指し示す方向を自分の行動の規範とするようなことがあれば、その時点であなたは占いの奴隷である。人生とは、その人生を送る主体――人間によってよりよく御されるべきものである。もちろん予測不能な人生を思い通りに動かすことなど、並の人間には不可能だろう。だからこそ占いに意味が出てくるのである。

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公開日:2004.09.16
最終更新日:2004.10.08
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