しっかりしたテンポを育み、説得力ある拍節感、リズム感を得るにはなによりメトロノームをそばに練習することだ。自分のうちにしっかりしたテンポ/リズム感覚があればいいのだが、そのへんを訓練していない人間にそれを望むのは無茶苦茶といっていいくらいに法外な要求だ。自分のテンポ/リズム感というのは、大抵正しいと思ってるのは自分だけ。弾けるところはほいほい前のめりに突っ込んでいって、ちょっと難しくなるととたんに総崩れ、本人は溜めだなんていうけど、はたから聞いているぶんにはめろめろの演奏でしかないんだから、つまり人様に聞かせられる演奏というのは、まず第一にテンポ/リズムがしっかりしているということ。音楽性とかなんとかこざかしいことを並べる遥か以前のことだ。
だから私は練習時、できるかぎりメトロノームをかちかち鳴らしている。
あまり意識しない人も多いみたいで驚かされるのだけれど、メトロノームのテンポを決めるのは実は一大事も一大事。とても大切なことだ。
昔大学の後輩になろうとしている娘が、メトロノームを前に音階練習をしていた。スケールには規定の速度が決められていたようで、だもんでその速度にあわせて上ったり下がったりを繰り返すのだけれど、どう聞いても速度が技術よりも速すぎて、指がぱたぱたしている。きちんとしたタイミングで音が落ちないので遅れ気味になって、できるところになると辻褄合わせようとするもんだから、一定のテンポ、リズムが刻まれていない実にまずい状況になっていた。
彼女は高校の後輩でもあったもんだからそのよしみで、少しゆっくりめにやってみたらと忠告したら、先生がこの速さでするようにいったんですとけんもほろろもない有様で、そのテンポでせよといったのかそのテンポでできるようにといったのか、どうでもいいや、これ以来他人の練習には口を挟まないようにしている。
大抵の人は、自分ができる速度よりも少し速めに練習するみたいだけど、実はこれは間違ってる。メトロノームを速めにして、できないところでは遅れ気味に、できるところでは辻褄合わせに速くやってると、そのタイミングが身に染み込んでしまう。結局、正しいテンポではなく、速くなったり遅くなったりが身について、聞いてられない演奏が出来上がる。これを味とでもいうのだろうか。だとしたらひどい味だぜ、食えたもんじゃないよ。
だからメトロノームの速度は、ちょっとゆっくりめにするのがいい。自分が一番弾きやすい速度にすると、気持ち良く練習できるかわりにだらだらと惰性で弾くようになってくる。だからちょっとゆっくり気味、もうちょっと速かったら楽なのにというところを楽させないのがコツだ。
これでやってると、気を抜いたとたんにテンポが走ってしまってメトロノームを追い越してしまう。こうなるのは結局意識が身体をコントロールできてないからなんだ。手が覚えている、身体が覚えているというのは大事だが、そんなのはとっさの時の助けになればいいのであって、意識が身体指先まで行き渡っていなければよい演奏なんて到底できない。
太極拳要訣に「意を用いて力を用いず」という。意識がきっちりと指先まで通っているのが大切であり、無闇に力を振り回すものではないということが大切であり、ひいては、
意のはたらきによって技の用い方を練習するほうが、いたずらに力をこめて練習するよりも、はるかに体の動きを正しく理解でき、つまりは力の正しい発し方も身に付けることができる。
笠尾恭二『中国拳法太極拳入門』(東京:日東書院,1997年),11頁。
太極拳の発勁についてをテンポ/リズムに置き換えると分かりよいと思う。速さを求めて速めに練習するのではなく、ゆっくり意識を働かせて身体を動かすほうが、結果的に正しいテンポ/リズム感を得ることができる。
だから私はいつもテンポをゆっくりめに。これでいらいらするようではいけないねえ。気長にいこうじゃないか。