先日、ソプラノサクソフォンを買ったのだが、しかしあれは一人で吹いていてもつまらないのだよ。だから、友人のピアニストに、一緒になにかやろうよ、といったら、ピアノの会に誘ってくれた。余裕があればいきたいと思っていて、さいわい余裕ができたから、いってきた。非常に楽しい会であった。
私の持っていったのはソプラノサックスであるのだが、ほかにギターも持っていって、なんせここはストリングス倶楽部というくらいだから、ギターの話題だわなあ。しかし、ドレッドノートを持っていく余力はなかった。ソプラノサックス、楽譜や小物もろもろ、そこにギターとなるのだから、軽い方がいい。持っていったのは、アストリアスのフラメンコギター、プレリュードだ。あれは、楽器も軽い、ケースも軽い、うってつけだった。
しかし、弾いてみて、音が小さい。というのは、自分が弾ききれていないということであるのだが、私の以前習いにいった(通えてないから、習っているとは口がさけてもいえない)フラメンコギターの教師は、ぱりっと乾いて大きな音をさせる。きれのいい音、はっとさせる音。しかしそれは私が弾いても出ない。楽器が違うのかも知れない。しかし、私の楽器を持っても、きっと先生はあの音を出すだろう。それはやはり私が弾ききれてないんだろうな。
それと、セッションするということの難しさ。楽譜があって、練習してきて、みんなでせーのと弾くわけではない。その時に演奏されている曲、それにのっかってくのだが、サックスだったらいいよ。単音だし、人のリズム、人のテンポ、人のコードに完全にのっていけばいい。しかし、ギターだとそうはいかない。コードで参加することの難しさだ。
今日のセッションは、圧倒的にジャズ優位の、はっきりいえばボサノバ場。だから、ジャズの約束ごとがわかっていれば、コードをばんばんつけていくということも可能なんだろう。しかし、それは私には難しい。なんせ、そういうの知らないからなあ。これまで、楽譜に書かれたことを弾く、そうした場にいたので、その場その場で臨機応変に対応していく、そういう経験に疎い。けれど、それでずっと引っ込んでいたら、ずっとできないままになってしまう。だから、積極的に参加して、経験を積む必要があるんだろうなあ。そうしたことを痛感した会だった。
とはいえ、そうした反省の前には楽しさがあった。面白さがあった。ひとりでやるのではなく、誰かと一緒に演奏する。そうした楽しみを、ずっと忘れていたような気がする。うまくいかなくっても、楽しければいい、そんなのりで弾ける場があるというのは、本当によいことだ。だから、誘ってくれた人には感謝している。