2月1日にインフルエンザを発病、2月最初の1週間はギターに触れることもなく過ぎてしまった。都合6日間まったくギターを弾かず、音楽も聴かない生活だった。こんなことは今までなかったことで、それだけに楽器の腕が落ちていることを心配した。
よく楽器の世界では、1日休めば3日分が失われるというようにいわれる。練習を怠ることで技術が後退することをいうのだが、しかしこれは本当だろうか。本当なら、6日間休んだ私は、さぶろく18日分の後退があってしかるべきである。今年に入ってすぐぐらいまで下がるといったところだろうか。
これは、練習時間を思うようにとれず、しかしもっと、もっとうまくなりたいと考える私には、我慢ならない後退だ。絶望的な気分にもなる。
だが現実は理屈よりも厳しい。久しぶりに弾いて、右指の精度は二十日どころではない後退をして、先週までできていた速さで弾けなくなっている。ima指の練習に、以前のp指の速度を持ってあて、p指はさらに速度を落とした。音は痩せた。明らかに痩せて細って、しまりもなくなった。だらしなく拡散する弱い音になった。
左手は右手ほど顕著ではないものの、やはり弱った。しっかりと弦を押さええない。筋力が落ちたのかも知れない。ポジションの移動に迷う。フレットに指がそわない。ただ一年以上をかけてしっかり強くなった皮膚は、弦を押さえて痛まない。それはありがたかった。
長くは弾けなかった。病み上がりで体力が落ちてるのだろう。それにしても腕の落ちかたのひどさには驚かされた。二十日なんてもんじゃなく、数ヶ月単位で落ちたように感じる。落ちて分かったのだが、今までちっともうまくならないと思っていた私も、少しずつはうまくなっていたのだ。だが、そのうまくなった分を一気に落としてしまって、私はまた同じプロセスやり直す。
だが、どれだけ落ちたといっても、決して0にはならない。一度身についた以上、残っているものが必ずある。それをうまくすくい上げながら、私はまた上を目指す。今までよりも少し上を、少しずつ確かめながら進んでいく。
そうして得たものは、またなにかあったとしても、決して失わなわれるものではない。なにかは残る。なにかが残るのである。