楽器を理解するにはやってみるのが最短だな

 ギターを使った曲を聴く時に得られる情報量が、以前とはまるで違うことに気付かされる。過剰なコンプをかけられたギターインストゥルメンタルアルバムの歪さは、ギターを弾くまではわからなかった。また、スパニッシュルーツのギターの、弦が指板フレットに当たりビリビリと音をたて弾ける触感、そんなものもまるでわかっていなかった。それどころか、スチール弦、ナイロン弦の違いも聴きわけられなかったのではなかったか。

 つくづく、楽器を弾くということは、その楽器についての理解を深める近道であると実感する。

 学生時分のことを思い出した。皆でギターのインストアルバムを聴いていたときのことだ。そこにはギターを専門に学んでいる学生がふたりいて、そのふたりの話していること、つまり彼らがその音源から得ている情報に、我々はついていくことができなかった。彼らの、これはふたりで弾いてるねという、そういったことでさえ我々にはわからなかった。そうか、その楽器を弾いている人間には、弾いていない人間とはまるで違った世界が広がっているのか。そう思い、専門という意味を強く意識したのだった。

 あの時、皆で聴いたアルバムがなんだったのかは思い出せないが、もし今、あれを聴いたら、私はどういった情報を得るのだろう。興味はあれど、それを確認することはかなわない。


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公開日:2009.11.29
最終更新日:2009.11.29
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