神の存在について。神様はいるかといわれると、予想される答えははおおむね二種類。信心深い人ならいらっしゃると答えるだろうし、懐疑派ならいないというだろう。けれど私は保留派だ。いるかも知れないしいないかも知れない。いてもいなくても、どうせ現状にかわりはないのだから、私にとってはどちらでもいいのだ。
けれど、神の存在は私にとって未だ未確定の事項であるから、いることを前提にはできない。
なぜ、神様などと突然いいだしたのかというと、神の存在を信じる人というのは、音楽家として断然有利なのではないかと思うからだ。そうした人は常に神様の眼前にあって、すなわちすべての行為は神様に筒抜けであるわけなのだから、そうした人たちが音楽をするなら、常に聴衆としての神を感じないわけにはいかないだろう。そう。音楽はまさしく神への奉納であり、最も重要な存在を聴衆として感じながらの演奏は、どれだけの効果をもたらすことだろう。
なにしろ、毎日が本番なんであるのだからなあ。
私は神の存在を保留しており、いるともいないともいわないことは最初にいったとおり。神様は私の音楽を聴いてらっしゃるかも知れないし、あるいはそんなことはまったくないかも知らん。この時点で、信仰深い音楽家に比べて不利である。なにしろ彼らは確信しているのだからな。対してあやふやな私は、この演奏を、つま弾く一音一音を神のためにだなんて思えないわけであるから、一人での練習、気を抜いてしまうこともある。ことさら不利は強調すまいが、やっぱり信仰心というか、意思の強い人間はなにをするにも違うと思うさ。
でもまあ、神様がいるかどうかはわからんとしても、なにか張り合いがあれば身の入り方も違うだろう。というわけで、そうさなあ、私は音楽のためにでも弾くとするかなあ。