本当の太陽の真下

アンナ・カリーナ『太陽の真下で』

ANNA KARINA “Sous le soleil exactement”


“Sous le soleil exactement” in: ANNA (PHCA-1060)

Anna Karina “Sous le soleil exactement” in: une histoire d'amour. (POCP-7472)


 真昼の街を歩く。やけに暑いので、日陰を探しながら進んでいく。暑さに参り、うつむき加減で。広場の真ん中を突っ切るとき、自分の影のあまりに真っ暗なさまと、小ささに気が付いた。振り仰げば、太陽がほぼ真上にあった。自分は今、太陽の真下にいる、本当の真下ではないけれども。

 北回帰線では、夏至の日に太陽が、本当の真上にやって来る。影はほかのどんな影よりも濃く黒々と、焼き付くほどの存在感で自分の直下に落ちる。その時、自分の影は、わずかの狂いもなく自分に重なるだろうか。

 本当の真上ではないけれど、限りなく真上の太陽に焼かれてみて、あの時アンナが居た場所は、太陽の真下ではなかったと気付いてしまった。どちらかといえば寒々とした灰色の海辺。影は風景に溶け込むほどに柔らかく、その存在を感じさせない。

 彼女のいたのは優しい場所だ。苛烈さも苦痛もない、かわりに自分自身を強く感じることもない。穏やかな海辺で今の自分を消し去って、本当の自分を夢見、憧れる。

 いつかいた太陽の真下は、あくまで彼女の想像の場所だった。現実以上に鮮やかであっても夢でしかない。けれど彼女にとって太陽の真下は、夢以上の意味を持って彼女を支えている。自分の影が自分からかけはなれた場所に落ちることに耐えられなくなったとき、自分の影が自分と重なる、自分だけの世界を夢見ることは、憂鬱さと美しさとが混じりあう確かに素敵な体験だろう。想像の太陽の真下は、なによりもロマンティックで優美で、彼女でなくとも憧れてしまう。

 太陽の真下は、息苦しいほどの暑さと圧迫感が大気に充満した、非現実の世界だ。濃密すぎる空気は身じろぎもせず、風景はまったく固着して、恐ろしく鮮明に切り取られた空間が、ただそこに止まっている。昔ならともかく、今の僕には少し耐えられそうにもない。アンナならどうだろう。どうだろうと思いながら、日陰から外を眺めて憧れるでもなく留まっている。


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公開日:2001.06.26
最終更新日:2001.08.29
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