ドラえもん

少年時代、のび太は僕のヒーロー

『ドラえもん』全四十五巻
藤子不二雄(藤子・F・不二雄)
(てんとう虫コミックス)小学館,1974- 年。


 ドラえもんと出会ったのは幼稚園の時。その時から、のび太は僕のヒーローだ。
 弱虫で意気地無しだけど、いざというときには勇気を持って立ち向かうから? 人の痛みを自分の痛みとして感じ、一緒に涙を流す優しさをもっているから?
 それもある。けれど、そうじゃない。僕は彼の中に、アンチヒーローとしての理想を見つけたんだ。

 子どもって奴は、自由に見えて実は不自由だ。大人は忘れてるれど、子どもって奴は結構なプレッシャーのなかで生きている。
 勉強しなけりゃならない、好きなことばっかりは駄目、時間は守って行儀よく、いたずらも羽目を外すのも駄目。いい子になるってことは、とっても辛くって切ない、自分が自分でいたいということよりも優先しなきゃならない、子どもにとっての最重要事項だ。
 けれど、のび太はその責務を逃れ、子どもの聖域に住んでいる。テストは零点、言うことは聞かない、怠けてばかりですぐ調子に乗る。そんなのび太の在り方に、うかうかすると大人や世間の望むいい子になりそうになる僕は、心酔しきったものだった。彼こそがヒーロー。そう、僕はのび太になりたかった。

 のび太は理想的子ども像という束縛への免罪を得た、子どもの中の子どもだ。大人は顔をしかめるだろう、なんて子だろうって。けれど、考えてもみて欲しい。彼ほど人間らしい奴はいないんじゃないか? だってそうじゃないか。頑張らなければとわかってるのに、ついつい嫌なことは先送りにしたりして、誰もがそうやって生きてるはずだ。けれど、のび太はきちんと反省できる健全さをもっている。おばあちゃんのだるまに感動して、前向きに生きようとのび太は決心する。けれど、そうやって決心しても、また駄目になって、また決心する。そんな彼に、僕たちは自分を見つけるのではないだろうか。
 ドラえもんと出会ったのは幼稚園の時。その時から、のび太は僕のヒーロー。僕は彼の様に生きたいと思っている。


評点:4-2-


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公開日:2000.10.26
最終更新日:2001.08.29
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