彼岸の声

 あるはずのない声がレコードに残されている。間奏に入ったところで女の声が聞こえる、うめき声、笑い声が入っているなどなど。どう考えてもレコーディングスタジオにそんな声が存在したはずがないのに。故にそれらは現代の怪談として巷人口に膾炙し、またバラエティショーに取り上げられては再び世間を騒がせる。録音されるはずのない声、――それらは彼岸から届いた死者の声なのであろうか。

 そんなわけがない。あれらは彼岸は彼岸でもこの世の彼岸からの声である。正当な手続きさえ踏めば誰もが聞くことのできる類いの声――、一般にラジオとよばれるそれである。

 なぜラジオ放送が紛れ込んだりなどするのだろうか。ここで録音や編集、放送スタジオに多く張り渡されているケーブルを思い起こしていただきたい。楽器からアンプへ、あるいは機器同士を繋ぐために幾本もの導線が床、壁面を問わず這いまわされている。本来録音された音情報を伝達するためのコードである。しかし困ったことにコードはアンテナとしても機能して、空中から電波を拾ってしまう。断片的に飛び込んできた電波が録音に残ってしまっては、後に世間を騒がせるはめになる。

 夜間、特に冬期には電離層の影響が強く、そのため想像以上にAM放送が遠くまで届く。日本国内にとどまらず、海を越えた彼方、中韓あるいはロシアからさえ電波は届いている。理解不能なうめき声と聞こえたものも、あるいはよく聞けば中国語であったりロシア語であったり、――これは嘘冗談ではなく本当のことである。

 幽霊が録音機器に干渉できるのならば、録音に残る声のいくらかはあの世からのものかも知れない。しかし現実には十中八九我々この世の声であり、なんら騒ぐ必要のない普通の現象にすぎない。ではなぜ騒がれるのか。特に専門の技術者(彼らが知らぬはずがない)を常駐させるところから率先して騒いでいる、――野暮はいわんでおくが、まあそういうことだ。


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公開日:2003.08.25
最終更新日:2003.08.25
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