魔が差す

 私がまだ運転免許を持っていなかったときの話である。仮免を受けるための場内検定で大失敗をやらかした。

 私はこのオートマチック全盛の時代にわざわざマニュアルミッションを選び、しなくていい苦労を味わっていた。S字やクランクでは低速を維持しなければならない。微妙なクラッチの踏み加減を要求するそれが苦手であった。左足が震えるのである。クラッチとアクセルの加減、それにハンドル操作が煩わしかった。クラッチが震えれば車はスムーズに走らない。度重なる復習で低速が安定するようになっても狭路では足が震えた。苦手はやはり苦手である。

 場内修了検定では狭路を避けることはできない。狭路はすべてのコースに含まれる必須要素である。坂道、S字、クランクは一般に嫌われる要素である。

 意外にも坂道は平気なのである。よほど横着にしないかぎり、下がりも止まりもしたことがない。問題は狭路にしぼられたも同然であった。最初はS字であった。がくがくと車体を震わせながら抜け出し、指定速度もクリアである。そして残すはクランクのみ。そこに油断があったのかも知れない。一時停止を左折する場面で、左車線を窮屈に感じたのだろう、よりにもよって私は右車線に進行した。

 ブレーキ補助を受けるまで私は対向車線に出たことに気付かなかった。左に出ようとして右車線にふくらんだのではない。はじめから右車線に出るつもりだった。アメリカ暮らしが長かったと言おうにも、私はアメリカになぞ行ったことさえない。対向車がいたら正面衝突だと言われたが、なに対向車がいたらきっと私は左車線に出たのである。これまで一度も失敗したことのない左折につまづくとは思わなかった。

 運が良かったことにすべては検定中の出来事であった。これが公道ならばすは正面衝突の一大事である。なにもないところ、なにもないときにこそ大事故の芽があると思った。つまり魔が差すとはこういう瞬間を言うのである。


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公開日:2003.03.03
最終更新日:2003.03.03
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