私は悲しい

 私は悲しい。

 空があまりに気持ち良く晴れた春の日、どうにか都合をつけてでも来て欲しいと言われたにも関わらず、私がしなければならないということはもうすでになく、別の人たちと一緒にいながら私はまるでひとりきりの気持ちだった。建物を出れば空気がほの明るくってやはり気持ちいいのに、その気持ち良さが無闇に悲しくさせる。空の広さがやるせなくって、結局ひとりきりの自分を対照的にはっきりとさせて悲しい。誰かが隣にいても、一緒に歩いていても、空を見ればやはり私はひとりで溜息が出る。

 十年以上も前、やはり空を見上げて溜息をついて悲しかった。その時の空は夏空で、真っ青な空、積乱雲、熱気をあげるアスファルト引きの駐車場で木々を越して空を見ては悲しく、秋になって高くなった空も悲しく、枯れた木の骨張った影の向こうに見る冬空も同様悲しかった。桜の咲く寸前、今春の空も悲しいのだから、私は空を見上げるたびに悲しい。孤独を思い知らされて悲しい。

 ひとつの場所に同じ時間を共有して、分かりあえた気がして近くあった気がして話せば楽しいというのに、その人たちがいたということが悲しい。まるで目の前に見たすべてが夢みたいで、結局は自分はなにも手につかんでいないということを知っているから悲しい。あらゆる物事は通りすぎてゆくばかりでとどまることのないことが悲しい。今実感しているすべては明日になれば過去で、いつかはあったかどうかも定かでない記憶の片隅の些細な断片になってしまうのだから、最初からなにも持たないのと同じと思い、最初から私はどこにもいなかったのだ。そう思うことにし、言葉にして口にも出してみる。さみしい、やりきれない――悲しい。

 できるだけ持たず残さず消えたいと願えど、失うには惜しいと思うものもある。手を伸ばしても届かないかも知れないと思いながら手は伸ばしてみた。空を見れば星がぱらぱらと光っている。だから私は悲しい。


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公開日:2003.03.20
最終更新日:2003.03.20
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