続続入院の思い出

 朝夕の点滴になれてくれば、いよいよ退院という気配がただよう。抜糸も済み、体調も戻りつつある今、一階の売店まで歩いて往復できそうなくらいに思える。しかし、そうなったらなったで寂しさもつのる。

 毎日朝な夕なと出会う看護婦さんとは、すっかり馴染みになってしまった。彼女らからすれば何人といる患者の一人だったに違いないが、こちらからすれば近しく思える人たち。中でも話しやすい看護婦さんがいて、その人が来てくれるとそれだけで少し嬉しく思った。しかしその看護婦さんが、昨日会ったと思えば今朝もいて、その日の夜間にも出会う。よく見れば、すべての看護婦さんがそんなだった。いつ家に帰っているのだろうと疑問に思うくらい。よくよく大変な仕事だと、今さらながら実感する。

 そんなハードワークの日々の中、看護婦さんたちは皆ほがらかで楽しくて、安心できた。ファーストフード店でもらえる文具をみんな使っていて、そういうところに看護婦さんたちの楽しみが見え隠れして、ほほ笑ましかった。看護婦さんっていいもんだなと思ったのは、このときがはじめてかもしれない。それまでは、医者が好きだったのだ。

 入院して数日、偶然クラスの人間と出会った。面倒やら煩わしいやらで、入院のことは誰にも言っていなかった。聞けば彼は膝を痛めて、この間まで入院していたのだという。その日は、お世話になった看護婦さんたちに挨拶に来たそうだ。夏を病院で過ごした、いわばお仲間といったところか。ロビーで話し込んだのは、互いが同志と知れたからか。

 退院間際、感傷的な気分で夜中に病院の廊下を歩いた。窓から見える屋上に社を見つけて、先端技術と信仰が同居している面白さを観じる。目を転ずれば、ナースステーションに灯り。今のこの時間にも仕事をしている人がいる。医療とは人間に支えられた営為にほかならないとじんとした。

 入院は災難だったが、病院は楽しかった。また入院したい。


日々思うことなど 2001年へ トップページに戻る

公開日:2001.08.11
最終更新日:2001.09.02
webmaster@kototone.jp
Creative Commons License
こととねは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示 - 継承 2.1 日本)の下でライセンスされています。