泣き言

 最近、頑張れない。なにに対しても、今ひとつ打ち込みきれないもどかしさが残る。いつなにをしていても、ふと褪めて自分を置き去りにした感覚にとらわれ、そんな空虚さを振り払えない。けれどその空虚さも自分の性格のうちと気付いているから、いっそあらゆることにあきらめがちに生きている。迷うこともあるけれど、それでももう狂乱はないだろう。悟ったわけではない。内心焦りやきもきしながら、自暴自棄の自分を適当に引き止めているこの頃、本当に頑張れない。心も身体もついていかない。

 心と身体は別物だけど、それでも互いに密接に関係しあって動いている。今のこの頑張りきれない状況というのは、心がめげているためなのか身体が弱っているためなのか。おそらくは両方だと思う。今自分のしていることすべてが、先に続いていかないこのとき限りのものと気付いたことは、ほんの発端だったろう。その瞬間にすべてがばかばかしくなったことを憶えている。退屈や倦怠を紛らわせるために手を出すいろいろなことは、結局手軽な気分転換と些細な刺激でしかなかった。さらなる刺激を求めようとしても、手軽さが軽薄さとなって仇。なにをする気も起きない。

 体力がないのはもともとだったが、この頃の困憊の異常さはいかなものだろう。歩くうちにうつむき加減となり、膝の支えが抜けそうになることもしばしば。長く立っているのも辛く、朝などはきっと蒼白だろう。免疫力も低下し、ばかばかしいくらいの病気に罹っては長引かせている。おそらくは身体を支える精神が細り、精神を鼓舞する力が身体に残っていない。まったくの悪循環だ。

 とかいいながらも、しんどいのは自分一人ではないということもわかっている。だれもが不調と倦怠を抱えながら、人に見せないようにやりくりしている。だから、休めるときはゆっくり休んで、無理に頑張らないように気配りながらも、こういっておきたい。

 頑張れ自分、頑張れみんな。


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公開日:2001.07.13
最終更新日:2001.09.02
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