二千一年八月

原爆の日

 すべての民族は、忘れえない記憶を持っている。日本人にとっては、1945年の広島、長崎の日々がそれだろう。この二つの都市は、原爆によって破壊されたのだ。

 わたしの世代は、直接的に第二次世界大戦を知っているわけではない。しかし、わたしたちは知識としてそれを知っている。教育から、資料から、テレビやラジオの番組から、本、そして漫画から、愚かさや空しさ、良心の呵責とともに、戦争のことを知ったのだ。それが加害にせよ被害にせよ、大量殺戮は人間の理性に疑いを抱かせるに充分だった。

 核兵器は、もっとも残酷で非人間的な罪の一つだ。人間が持つにはあまりに大きすぎる力であり、それはただ地上に地獄を生みだすだけだ。広島と長崎の犠牲者は、放射能による後遺症で今なお苦しんでいる。もし、核を力と見なすことをやめないならば、この悲劇はなおも繰り返されるだろう。わたしたち人類は、罪を彼らに背負わせはしたが、未だに罪人であり続けているのだ。

原爆による被害

広島
 1945年8月6日午前8時15分に一発の原子爆弾が投下された。それから数日の間に、約十四万人が死亡。1995年の広島市調査によると、犠牲者の数は246,726人にのぼる。
長崎
 1945年8月9日午前11時2分に二発目の原子爆弾が投下された。数日間で、約七万人が死亡。1998年の長崎市調査によると、被害者の数は118,855人。

関連サイト

(初出:Les douze mois au Japon, mais selon moiオリジナル:フランス語)


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公開日:2001.08.06
最終更新日:2001.09.02
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