まるで電池でも取り換えるように

 まるで電池でも取り換えるように、体力が回復できればいいのにと思ったことはありませんか? 僕はあります。それもしょっちゅう。

 そもそもからして疲れやすい性質だというのに、このところ輪をかけて回復が追いつかないようになってしまいました。そんなわたしを人は老いたというけれど、本人はさして老いを感じているわけでもなく、けれど実際の話、体調が思わしくない日が続いているのもまた事実なのです。感覚としては、それこそ背中から体力が漏れ出しているよう。本来背中に着いていたはずの電池がへたって、エネルギー不足を起こしているような感触がこのところずっとです。

 背中に電池だなんてまるでラクダですが、弱りきった電池を交換して元気を回復。馬鹿なことばかり考えています。しかし、なぜ背中なのでしょうか。

 ひとえに日々の疲労が、背中から肩にかけて蓄積されるためでしょう。昨今のオフィスワークの中心を担うのは、まさにコンピュータであります。おそらく事務系の職場でコンピュータを導入していないところは、そう多くないと思われます。未だに機械式タイプライターが現役稼働中のわたくしの職場でも、OA化――機械化と呼んでますけど、されて久しいのです。

 機械化によってなにが変わったか。それは仕事の性質であるといってよいでしょう。手間だったデータの参照が、便利な検索機能によって随分と楽になりました。書式どおりの書類作成も、いろんな計算も、全部機械が代行してくれるようになったのです。そして、人間はより創造的な仕事に取り組むことが出来るようになりました、なんてとんでもない。人間は、データをどんどん入力するために、まさに機械の末端としてキーボードの先に繋がれるようになったのです。

 一日中打鍵の日々です。背も肩も腕も目も、疲労の極致といっていいでしょう。ところが、人間は電池を換えてすませるというわけにはいかない。そこが目下の問題です。


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公開日:2001.10.01
最終更新日:2001.10.01
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