初めに言があった、そして、、、

 「初めに言があった」

 ヨハネによる福音書にはこんな記述がある。つまりこの世ができる前に、言葉があったというわけだ。でもこのことは、その言葉とともに、「音」もあったということではないだろうか。ということで、これが音、あるいは音楽、に関する最も古い記述といわれたりもするけれども、だったら各一人一人、個人の初めにあった音ってなんだろう。

 僕たちが始めて耳にする音は、まだ生まれる前に母親の胎内で聞く母親の心音なのだそうだ。だからぐずっている赤ん坊に母親の心音の録音を聞かせてやると、落ち着いて静かになるとか。では、僕たちが始めて発する音は、なんだろう。産声? でもそれ以前に僕たちが発する音があるはずだ。

 僕たちが始めに発する音、それは心音だ。人間の心臓は、第六週には拍動を始め、十六週には聴診器で聞くことができるほどにまでに成長する。そして僕たちはその心音を、普段は意識しないまでも、その死の瞬間まで聴き続けているのだ。僕たちは生きているその限り、音を聞き続ける。音を聞くことをやめることはできないし、そういう意味では音は常に僕らと共にある。そして最も僕らと近しく、最も長くある音こそが、心音、なのだ。

 でも、僕らはその常に聞いている音を、普段意識してはいない。それどころか、その様な音が、まるで存在しないかのようにさえ思えるほどである。これは周りの音によって、自分の身体から発する音がかき消されるからで、別に僕たちの責任では無いのだけれど、それにしてもあまりに気にかけなさすぎているのではないだろうか。

 心音は、僕たちがまさに今生きているという証明だ。そしてその心音こそは、僕たちが始めて聞いた音、そして前の世代から脈々と受け継いできた音にほかならないのだ。もし君がとても静かな場所にいったなら、静かに息を潜め、耳を精一杯にすませてみよう。そうしたら多分、君に最も近しく、いとおしい、生命の音、が聴こえてくるよ。


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公開日:1997.10.26
最終更新日:2001.09.02
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