民族音楽学講義・イヴェントレポート 第三回
水曜一時限・九月二十七日提出・三年次・楽理専攻・9540082・今井敏行
95年9月15日 阿寒湖アイヌ部落
アイヌ民族 舞踊

「人は根元的に、自分の回帰する場所を
探している」〜前回に引き続き、またアイヌ

 このイヴェントを見たのは、阿寒湖畔にある、アイヌ部落である。アイヌコタンともいわれるここには、約二百名ほどのアイヌたちがすんでいるという。このイヴェントでの説明によれば、現在彼らは、木彫りの人形や、刺繍、装飾品などを作り、それらを観光客に販売しながら生活しているらしい。補足的に説明するならば、このアイヌ部落は実際に人が住んでいるそれではなく、十数件の民芸品店の立ち並ぶ観光客を対象とした施設であり、上(かみ)の方には、このイヴェントが行われた「チセ」という建物がある。この「チセ」という言葉は、アイヌ語で「家」を示すものである。

 チセの中には、上演のための施設であるためあたりまえのことではあるが、ステージと客席が向かい合って作られており、トイレは近代的で清潔であった。ステージには「ヌササン」という祭壇がしつらえられており、民族衣装を着た出演者たちが、雰囲気を高めてくれる。観客は、これも当然のことながら、観光客ばかりであり、しかも中年層の浴衣姿ばかりが目立った。

 最初に行われたのは、若い娘たちによる舞踊であった。数名の娘が前で踊り、比較的歳を取った女性が三人、ステージの後ろで歌を歌う。アイヌの言葉で歌われるその歌は、もちろんのことながら意味は分からないのであるが、それ以前に発音が口の中でこもらせたようなものであり、とても現在の日本語では表記できないようなものであった。それに対する、娘たちの間の手は、明確に発音がされており、どちらかと言えばカタカナ的な、歌とは対照的な発音であった。ここで思い出すことに、前回レポートしたオキ カノウ氏のステージでも、カタカナ的に発音されていた。しかし私はこのことが別に悪いことであるとは思わない。多かれ少なかれ、言葉というものは変遷を重ねるものであり、さらにそれが現在、「固有の慣習や文化の多くが失われ、人口も激減」1 しているような状態であれば、それも致し方ないことであろう。

 演目は、その後次々と変わり、娘同志がお盆を投げあうという踊りや、二人の男によるあまりに鳥が美しかったので、それを射ることができなかった様を描いた踊り、そしてムックリの演奏などを交えながら、一時間足らずで終了した。

「ムックリ」 しかし、このときの観客の様子はどうであったろうか。皆々が一様に、もの珍しいものを見たいという欲求と、それでいて古来からつながるものへと結合したいという切望というものを感じたではないか。もしかしたら、人はこのようにして、現在とみに失われたと言われている、人と人とのつながり――それは時間的なものであり、また空間的なものでもある――に思いを馳せるのかもしれない。その際に脳裏に去来するのは一体何であろうか。自らの血の中に流れる民族のルーツかもしれない、また今脈々と受け継がれようとしている、新しい流れかもしれない。

 実際には、他の観客はそのようなことは思いもしていなかっただろう。また思っていたとしても気がついていたとは限らない。そのことは自分が一番よくわかっているつもりだ。

 ムックリを買って、旅館へと戻った。


1財団法人 新村出記念財団「アイヌ」『「広辞苑 第四版」CD-ROM版』1993 岩波書店 東京
絵は、財団法人 新村出記念財団「ムックリ」『「広辞苑 第四版」CD-ROM版』1993 岩波書店 東京 から


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公開日:2000.07.30
最終更新日:2001.09.02
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